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石鑑 : ミニ英和和英辞書
石鑑[せき かん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [かがみ]
 【名詞】 1. model 2. pattern

石鑑 : ウィキペディア日本語版
石鑑[せき かん]

石 鑑(せき かん)は、五胡十六国時代後趙(衛)の第6代皇帝石鑒とも。
== 生涯 ==
武帝石虎の三男(庶子)として生まれる。建平4年(333年)に代王、建武3年(337年)に公となる。建武11年(345年)に失政で関中からに戻らされた。太寧元年(349年)に第4代皇帝の石世石遵によって殺され、その石遵も石閔によって殺されると、石閔に擁立されて即位した。石閔を大将軍に、李農を大司馬にそれぞれ任命した。
このような経緯から実権は石閔に掌握されており、傀儡皇帝に等しかった。石苞に夜襲をさせたが失敗し、石苞は口封じに殺された。石祗襄国から石閔誅殺の檄を飛ばし、鄴では暗殺計画が発覚した。羯族石閔兵士3千が胡人の天下の為に石閔を誅殺しようとし、30人が宮中に乗り込んだが全員殺された。石閔は非漢族の武器所有者を斬ると宣言し、大量の非漢族が出て行った。石閔は「自分の考えに賛同する者はここにいろ」と言うと、近郊の漢族は入城し、非漢族は出て行った。非漢族が味方にならないと悟った石閔は20万人の非漢族を殺した。翌青龍元年(350年)、石閔によって国号を「〔『資治通鑑』による。『十六国春秋』によると「」。〕」と変えられ、石鑑自身も李姓に改めさせられた。石閔と李農が反乱軍の討伐で出た時に、李鑑は宦官を通じて自分の味方を呼び込もうとしたが、その宦官から報を受けて軍を返した石閔と李農に殺された。その在位は103日だった。石虎の孫38人を含む殺せるだけの石氏は全て殺された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石鑑」の詳細全文を読む




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