翻訳と辞書
Words near each other
・ 異種血清
・ 異種試合
・ 異種誘導原
・ 異種金属腐蝕
・ 異種間
・ 異種間体外受精
・ 異種間移植
・ 異種間誘導
・ 異突然変異率同類対立遺伝子
・ 異端
異端判決宣告式
・ 異端審問
・ 異端審問官
・ 異端審問所
・ 異端者
・ 異端者のフォーク
・ 異端裁判
・ 異端見分けハンドブック
・ 異端視
・ 異端邪説


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

異端判決宣告式 : ミニ英和和英辞書
異端判決宣告式[いたん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 (pref) different
異端 : [いたん]
 【名詞】 1. heresy 
: [はし]
 【名詞】 1. end (e.g., of street) 2. edge 3. tip 4. margin 5. point
: [ばん]
 (n,n-suf) size (of paper or books)
判決 : [はんけつ]
  1. (n,vs) judicial decision 2. judgement 3. judgment 4. sentence 5. decree 
: [けつ]
 【名詞】 1. decision 2. vote 
宣告 : [せんこく]
  1. (n,vs) sentence 2. verdict 3. pronouncement 
: [しき]
  1. (n,n-suf) (1) equation 2. formula 3. expression 4. (2) ceremony 5. (3) style 

異端判決宣告式 ( リダイレクト:アウト・デ・フェ ) : ウィキペディア日本語版
アウト・デ・フェ[しき]

異端判決宣告式(いたんはんけつせんこくしき)またはアウト・デ・フェauto de fe)は、スペイン異端審問所やポルトガル異端審問所が裁判後に被告の罰を決定したとき行う、有罪を宣告された異教徒と背教者の懺悔の儀式である。中世スペイン語ポルトガル語でのアウト・デ・フェは「信仰の成せるわざ」を意味する。ポルトガル語ではアウト・ダ・フェ(auto da fé)とも呼ばれる。
庶民の想像においては、アウト・ダ・フェは異教徒火刑を言うようになった。
==歴史==
アウト・デ・フェは、カトリックミサの儀式に含まれていた。祈り、有罪とされた人々の公の行進、そして有罪宣告の読み上げである〔。儀式は公共の広場か遊歩道で数時間かけ行われた。祭りのような雰囲気の中で、教会と市当局が出席した〔Many of the public ''autos'' were described in contemporary published works listing the dignitaries in attendance, the condemned and their sentences. See for example, Matias de Bocanegra, ''Auto general de la fee...'', Mexico: 1649〕。アウト・デ・フェの芸術的表現はいつも、火刑や拷問の様子を描いている。
しかし、アウト・デ・フェは宗教儀式であったので、拷問も火刑も行われなかった〔Peters, Edward. Inquisition. New York: The Free Press, 1988.〕。裁判結審後に拷問は行われなかった。処刑は常にアウト・デ・フェの後、または別に行われていた〔Kamen, Henry. The Spanish Inquisition : A Historical Revision. London: Weidenfeld & Nicolson, 1997.〕。
初めて記録されたアウト・デ・フェは、ルイ9世時代の1242年にパリで行われたものである〔Stavans 2005:xxxiv〕。初めてスペインで行われたアウト・デ・フェは、1481年のセビーリャであった。この初の宗教儀式に参加した6人の男女は、後で処刑された。
アウト・デ・フェは結局、観客を前にして最大の結果を引き起こす、精密に計算された場面がセットされた、バロック期の見せ物となった。1559年5月21日から10月8日まで、バリャドリッドのプラサ・マヨールで開かれたアウト・デ・フェは、その厳粛さゆえに非常に有名になった。しばしばアウト・デ・フェは絵画の題材となり、プラド美術館に収められているフランシスコ・リッチの作品は、1680年6月30日、マドリードマヨール広場で行われたアウト・デ・フェを描いている。
1536年に確立された異端審問所はポルトガルで限られた権力を行使し、1821年まで公式に続いた。アウト・デ・フェの影響は、ポンバル侯政権下の18世紀終わりまでには非常に弱められた。ヴォルテールは1759年に発表した『カンディード』の第6章で、リスボン大地震後に行われた異端審問とアウト・デ・フェを描いている。
アウト・デ・フェは、メキシコペルーブラジルでも行われた。同時代のコンキスタドーレス歴史家たち、ベルナル・ディアス・デル・カスティリョのような者たちが記録を残している。アウト・デ・フェは、1562年から1563年にポルトガル領インドで異端審問所が設立されたのに続いて、ゴアでも行われた。
スペイン最後のアウト・デ・フェは、1826年に行われた。その際の被告人はルサファの教師カイエターノ・リポルで、彼は理神論を唱えたがため逮捕された。バレンシアで行われたアウト・デ・フェの後、絞首刑にされた。彼の亡骸は樽に詰められ、異端審問所の火葬場で焼かれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アウト・デ・フェ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.