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畠山義続 : ミニ英和和英辞書
畠山義続[はたけやま よしつぐ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はたけ]
 【名詞】 1. plowed (cultivated) field (ploughed) 2. kitchen garden 3. plantation
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

畠山義続 : ウィキペディア日本語版
畠山義続[はたけやま よしつぐ]

畠山 義続(はたけやま よしつぐ)は、能登戦国大名。能登畠山氏の第8代当主。
== 生涯 ==
第7代当主・畠山義総の次男として生まれる。長兄で嗣子である義繁(よししげ)がいたが早世したため、後継者となる。天文14年(1545年)に父・義総が死去すると、家督を継いで第8代当主となる。しかし、義続の頃には家臣団による権力争いが頻発した。
天文16年(1547年)には加賀に追放されていた叔父の畠山駿河が一向一揆の助力を得て能登に攻め込んでくる(押水の合戦)。天文19年(1550年)には重臣の遊佐続光温井総貞の権力争いのため七尾城が一部焼失するなど、義続は家臣団をうまく統率することができなかった。
この結果、大名権力が失墜し、重臣達は大名権力を傀儡化する畠山七人衆と呼ばれる年寄衆組織を作り、実権を握った。天文20年(1551年)に義続はこれら一連の騒乱の責任を取る形で、家督を嫡男の畠山義綱に譲って隠居し、以後は義綱の後見人を務めた。
その後は大名権力の回復を目指し、弘治元年(1555年)に義続は畠山七人衆の実権を握る温井総貞を他の重臣と協力して誅殺した。こうして一時は大名権力を取り戻したのだが、その後にさらなる権力強化を図ってかえって重臣の反発を招き、永禄9年(1566年)に重臣によって孫の畠山義慶が擁立されると、義続は義綱と共に国外追放とされてしまった(永禄九年の政変)。
その後、六角氏と縁戚関係があったために六角氏の領国である近江坂本に逃げ延び、永禄11年(1568年)に義綱と共に能登復帰を目指して挙兵したが失敗した。天正18年(1590年)3月12日に死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「畠山義続」の詳細全文を読む




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