翻訳と辞書
Words near each other
・ 留守杯日高賞
・ 留守氏
・ 留守番
・ 留守番電話
・ 留守義氏
・ 留守邦寧
・ 留守郡宗
・ 留守録
・ 留守長官
・ 留守電
留守顕宗
・ 留寿都村
・ 留寿都温泉
・ 留岡幸助
・ 留岡幸男
・ 留崎村
・ 留川一路
・ 留川真帆
・ 留巣性
・ 留平


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

留守顕宗 : ミニ英和和英辞書
留守顕宗[るすけんそう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

留守 : [るす]
  1. (n,vs) absence 2. being away from home 
: [もり]
 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

留守顕宗 : ウィキペディア日本語版
留守顕宗[るすけんそう]

留守 顕宗(るす あきむね)は、戦国時代武将留守氏第17代当主。陸奥国宮城郡岩切城主。
== 生涯 ==
永正16年(1519年)、留守氏第16代当主・留守景宗の嫡男として生まれる。
天文23年(1554年)、父の死去により家督を継いで当主となる。留守氏は天文の乱において伊達晴宗方の主力として戦ったが、
顕宗は晴宗と対立し、弘治2年(1556年)に晴宗の支援を受けた留守氏一族・村岡常継の攻撃を受ける。この時は常継の妹を側室に迎えて講和を成立させたが、以後も晴宗からの圧迫は止まず、これに同調した留守氏家臣団の一部(祖父・郡宗や父・景宗に随行してきた伊達家臣および吉田氏・花淵氏ら外様衆)の圧力を受け、永禄10年(1567年)には晴宗の三男・政景に家督を譲ることを強いられた。その際に常継の妹との間に生まれた実子の宗綱は神楯城主・高城周防守の養子として送り出され、顕宗は南宮館に隠退した。
天正14年(1586年)7月17日死去。享年68。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「留守顕宗」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.