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甲斐路 : ミニ英和和英辞書
甲斐路[かいろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

甲斐 : [かい]
 【名詞】 1. effect 2. result 3. worth 4. use 5. avail 
: [ろ]
 【名詞】 1. road 2. street 3. path

甲斐路 : ウィキペディア日本語版
甲斐路[かいろ]
甲斐路(かいじ)は、律令制下における古代官道東海道支路で、東海道から分岐し富士北麓を経て御坂峠を越えて甲府盆地に入り、甲斐国府に至る。別称は御坂路(みさか-)。

== 古代の甲斐路と道筋・宿駅 ==

延喜式』兵部省諸国駅伝馬条〔『延喜式』同条は『山梨県史 史料編3 古代文献・文字史料』、『古代の交易と道』に収録。〕によれば、甲斐国と都をつなぐ官道を「甲斐路」と呼称している〔末木(2000)、p.275〕。
両側の一端は東海道は駿河国横走駅であり、横走駅で東海道から分岐した甲斐路は籠坂峠(かごさかとうげ、静岡県小山町・山梨県南都留郡山中湖村)を越えて甲斐国へ入る〔末木(2000)、p.275〕。その後、忍野村富士吉田市の境界である鳥居地峠を経て、河口駅、御坂峠を越え、水市駅を通り、甲斐国府へと到達すると推測されている。さらに甲斐国府へ至る〔末木(2000)、p.275〕。
横走駅は静岡県御殿場市付近もしくは、横山遺跡の所在する静岡県駿東郡小山町に所在していたと考えられている〔末木(2000)、p.275〕。甲斐国府は前期と後期で移転されており、前期国府が山梨県笛吹市春日居町、後期国府が笛吹市御坂町に所在していたと考えられている。甲斐路は甲斐国内に加吉(かき)駅、河口駅、水市駅(みずいちのえき)の三駅が設置されており、甲斐路は小路であるため、各駅に五疋ずつの駅場が置かれていたという〔末木(2000)、p.275〕。
『延喜式』では駅名の記載は一般的に中央から順路に沿って記載されているが、甲斐国の場合は国府を基準にして国府寄りに記載されたか、もしくは郡名記載順に記されたと考えられている〔『山梨県の地名』、p.450〕。『甲斐国志』では水市駅が甲斐国府に最も近く、所在地を現在の笛吹市一宮町市之蔵付近としている〔『山梨県の地名』、p.450〕〔末木(2000)、p.276〕。一方、笛吹市一宮町市之蔵一帯には遺称とされる地名や遺跡が分布しないことも指摘され〔『山梨県の地名』、p.450〕、磯貝正義は駅路や馬に関係する地名の分布から現在の笛吹市御坂町上黒駒一帯に推定している〔磯貝正義「甲斐の御坂-甲斐の古駅路再論」『甲斐史学 第3号』(甲斐史学会、1958年)〕。また、水市駅の所在地については笛吹市石和町平井、笛吹市八代町奈良原に比定する説もあり、さらに『延喜式』の駅名の記載順は逆で、山中湖に所在した駅が水市駅とする説もある〔『山梨県の地名』、p.450〕。
『吾妻鏡』では籠坂峠は「加古坂」と表記されるため、加吉駅の「加吉」は「加古」の誤記であると考えられている〔末木(2000)、p.275〕。磯貝正義は加吉駅の所在地を南都留郡山中湖村山中付近に推定しているが〔磯貝正義「甲斐の御坂-甲斐の古駅路再論」『甲斐史学 第3号』(甲斐史学会、1958年)〕、これは史料的根拠はなく平安時代の八陵鏡などの出土によって推定されているにとどまる〔末木(2000)、p.275〕。
河口駅は富士河口湖町河口に所在していたと推定されているが〔末木(2000)、p.275〕、河口湖北岸の大石に比定する説もある〔『山梨県の地名』、p.137〕。
2013年には富士河口湖町河口に所在する鯉ノ水遺跡発掘調査において、甲斐路に関わると考えられている道路状以降が確認された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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