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田子倉ダム : ミニ英和和英辞書
田子倉ダム[たごくらだむ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [そう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator

田子倉ダム : ウィキペディア日本語版
田子倉ダム[たごくらだむ]

田子倉ダム(たごくらダム)は、福島県南会津郡只見町大字田子倉、一級河川阿賀野川水系只見川に建設されたダムである。
電源開発株式会社が管理する発電用ダムで、高さ145.0mの重力式コンクリートダム。上流にある奥只見ダムと共に日本有数の規模をのダムとして知られている。また、ダムに付設されている田子倉発電所は、認可出力400,000kWを有し一般水力発電所としても奥只見発電所に次ぐ日本第2位の出力のある水力発電所である。ダム湖田子倉湖と名付けられ、財団法人ダム水源地環境整備センターによる「ダム湖百選」に2005年平成17年)只見町の推薦により選定された。越後三山只見国定公園に指定されている。
==沿革==
''只見川全体における電源開発事業の変遷は只見特定地域総合開発計画を参照のこと''
只見川は日本有数の豪雪地帯を流域に持ち、その流路のほとんどを峡谷で占める急流河川である。水力発電には格好の条件を揃えた河川である事から明治時代以降、幾度も電源開発計画が検討された。本格的な開発計画が持ち上がったのは、逓信省により1937年昭和12年)から実施された「第三次発電水力調査」による。同時期電力国家管理の動きが強まり、1939年(昭和14年)に発足した日本発送電(日発)が只見川の電源開発に乗り出した。
日発東北支社は、水源である尾瀬沼から合流する阿賀野川に至るまで、只見川にダム式発電所を階段状に建設する計画を練り、終戦直後の1947年(昭和22年)に「只見川筋水力開発計画概要」として発表した。これは尾瀬と銀山平地点及び田子倉地点に巨大ダムを建設して事業の中核とし、只見川・阿賀野川・伊南川・大津岐川に合計23箇所のダム式発電所を建設。合計出力2,400,000kWという東北全域の包蔵水力の25%を只見川で賄う壮大な計画であった。こうした経緯で田子倉ダムは奥只見ダムと共に只見川の中核発電施設として建設が計画された。
だが、只見川の開発を巡っては日発内でも意見がわかれた。東北支社は只見川を一貫して開発する案だったが関東支社は尾瀬沼の水利権保有を盾に、尾瀬原ダムを利用した揚水発電を行い、只見川の水を利根川に分水する計画(尾瀬分水案)を呈示し、これに反対する東北支社と対立した。さらに新潟県信濃川に分水する計画(只見川分流案)を同時期発表したことで状況はさらに混迷した。その上、1950年(昭和25年)に日発が分割・民営化して九電力会社が誕生。日発東北支社は東北電力に、関東支社は東京電力に改組・発足し別会社になったことで利害対立はさらに先鋭化。翌年には電源開発が発足して只見川の電源開発計画に参入したことで完全に状況は暗礁に乗り上げた。
折から国土総合開発法が1952年に施行され、大規模総合開発による地域振興を目的として全国22地域が「特定地域総合開発計画」の対象地域に選定された。この中で只見川も「只見特定地域総合開発計画」に指定され、強力かつ統一的な電源開発が求められるようになり早急な開発着手が要請された。政府は状況を打開するため「電源開発調整審議会」を設置。水利権を含め大規模な只見川電源開発計画をどのようにして各社に分担させるかを調整させた。この結果1953年(昭和28年)7月、調整が続けられた只見川電源開発の骨子が固まった。
内容としては基本的に東北電力の推す只見川筋水力開発計画概要に沿った事業計画となり、一部新潟への分水も盛り込まれた。また、ダム事業の分担については田子倉・奥只見の他に前沢ダム(後の大鳥ダム)と滝ダム、そして新潟分水案に沿った水力発電施設は電源開発が、本名ダムより下流の只見川と阿賀野川のダムは東北電力が事業分担することで決着した。なお東京電力の尾瀬分水案は水利権者である福島・新潟両県の強硬な反対と環境問題によって計画には反映されず、長い迷走の末に1996年(平成8年)事業自体が中止となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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