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田北鑑生 : ミニ英和和英辞書
田北鑑生[たきた あきなり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [きた, ほく]
 (n) north
: [かがみ]
 【名詞】 1. model 2. pattern
: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 

田北鑑生 : ウィキペディア日本語版
田北鑑生[たきた あきなり]

田北 鑑生(たきた あきなり)は、戦国時代武将大友氏の家臣。
父親員は大友氏の加判衆(家老)であり、子鑑生は初め大友義鑑の側近として仕える。義鑑からは偏諱を賜って鑑生と名乗る。
大永7年(1527年)、父に従って栂牟礼城佐伯惟治の討伐に参加し、軍功を挙げた。これが鑑生の初陣とされる。
天文3年(1534年)の大内氏との勢場ヶ原の戦いでは、大友軍は当初劣勢だったが、1,000人余の別働隊を率いていた鑑生は、敗走する本隊を収容すると、大内軍に突撃して杉重信を討ち取り、さらに陶興房に傷を負わせるなどして勝利に貢献した。この戦いの後、大内氏との和睦を願って神社を建設する。また、大友館の修理も行なった事もある。
義鎮が当主になると加判衆となり、筑前国の方分となりる。さらに大友晴英(大内義長)が大内氏当主として迎えられる頃には加判衆筆頭となっている。 弘治2年(1556年)の小原鑑元の反乱や翌3年(1557年)の秋月文種の討伐にも参加し、秋月攻めでは大功をたてたとされる。その後、筑後国の方分として現地に留まる。
永禄4年(1561年)、第四次門司城の戦いで、補給線を断たれて撤退する際、毛利氏乃美宗勝らの待ち伏せに遭って重傷を負い、11月9日にその傷がもとで死亡した。家督は弟の鑑重が継いだ。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「田北鑑生」の詳細全文を読む




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