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玉井信博 : ミニ英和和英辞書
玉井信博[たまい のぶひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たま, だま, ぎょく]
  1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [ばく, ひろ]
  1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive

玉井信博 : ウィキペディア日本語版
玉井信博[たまい のぶひろ]

玉井 信博(たまい のぶひろ、1949年9月7日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手投手)。読売ジャイアンツ太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズ、西武ライオンズに所属した。
== 来歴・人物 ==
松山商では、エースとして1966年の秋季四国大会決勝に進み、新居浜商を降し優勝。翌1967年春の選抜に出場するが、1回戦で桐生高に敗退〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。同年夏も甲子園予選北四国大会決勝に進むが、村上真二のいた今治南に敗れ甲子園出場を逸する。
同年のドラフト11位で大洋ホエールズに指名されるがこれを拒否、東洋大学に進学。東都大学リーグでは、1970年秋季リーグで6勝3敗4完封を記録して一躍注目を浴びる。しかし翌年は打ち込まれ1勝14敗、スランプが続いた。リーグ通算7勝19敗。1971年ドラフト7位で読売ジャイアンツに指名されるが、これを保留し三協精機に入社。1972年都市対抗に出場した後、一年遅れで巨人に入団。
1973年イースタン・リーグの最多勝を獲得。1974年には6勝をあげ、徐々に実績を積み重ねていたが、1975年オフ、加藤初伊原春樹との交換トレードで関本四十四と共に太平洋に移籍した。移籍1年目は規定投球回数に達したものの、13敗(3勝)を記録、大きく負け越した。以後出番は減り続け、球団の所沢移転後は1軍登板0に終わった。1980年限りで現役引退。引退後は西武ライオンズに留まり1997年まで打撃投手を勤め、現在スコアラー。
右スリークォーターからの重い速球が武器であり、シュート、カーブ、スライダーを持ち球とするが、連打を浴びるクセがあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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