翻訳と辞書
Words near each other
・ 猪野健治
・ 猪野又紀子
・ 猪野学
・ 猪野広樹
・ 猪野忠敬
・ 猪野早太
・ 猪野毛利栄
・ 猪野毛利榮
・ 猪野清秀
・ 猪野瀬村
猪野省三
・ 猪野謙二
・ 猪鍋
・ 猪隈関白
・ 猪隼太
・ 猪飼たね
・ 猪飼周平
・ 猪飼敬所
・ 猪飼昇貞
・ 猪飼野


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

猪野省三 : ミニ英和和英辞書
猪野省三[いの しょうぞう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いのしし]
 【名詞】 1. wild boar 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [み]
  1. (num) three 

猪野省三 : ウィキペディア日本語版
猪野省三[いの しょうぞう]

猪野 省三(いの しょうぞう、1905年7月20日 - 1985年1月8日)は、日本の児童文学作家プロレタリア児童文学の活動などに参加した〔『日本児童文学体系30』 p.527〕。
== 略歴 ==
栃木県上都賀郡鹿沼町(現:鹿沼市)で生まれた。父・春吉は一時鹿沼町の町長も勤めていた〔『日本児童文学体系30』 p.595〕。1923年に、宇都宮中学校を卒業。卒業後は小学校の代用教員として勤務した。
1926年に教職を辞めて上京し、画家を志して太平洋画研究所に入所。江馬修らと知り合い、翌年江馬の紹介で日本プロレタリア芸術連盟に加入。はじめは画家として参加していたが、次第に文学に関心を持ち、1928年に初の童話「ドンドンやき」を『プロレタリア芸術』に発表。その後も相次いで童話を発表し、プロレタリア児童文学者として認知されるようになった〔『日本児童文学体系30』 p.596〕。ほかに『戦旗』などに童話や評論を発表し続けた。しかし1931年ごろから『戦旗』や『少年戦旗』への弾圧が厳しくなり、猪野も監視下におかれたり、留置場生活をおくることもあった〔『日本児童文学体系30』 p.597〕。
1934年日本プロレタリア作家同盟が解散し、猪野の児童文学者としての活動も休止した。また同年浅井千鶴と結婚。翌年長女が生まれ、1941年までに1男4女をもうけた〔『日本児童文学体系30』 p.598〕。1945年には東京の住居が戦災にあい、帰郷。
終戦後の1946年児童文学者協会が創立され、猪野も参加。児童文学者としての活動を再開した〔。同協会の機関紙『日本児童文学』に作品を発表する他、『少年少女の広場』『子どもの村』『文学教育』などで作品を発表。1953年には日本児童文学全集河出書房)で、『猪野省三集』が発行された〔。
1974年肺炎を患い、翌年の1975年には脳血栓を発症〔『日本児童文学体系30』 p.601〕。療養をつづけていた。1985年に死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「猪野省三」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.