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照屋寛善 : ミニ英和和英辞書
照屋寛善[てるや かんぜん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぜん]
 【名詞】 1. good 2. goodness 3. right 4. virtue 

照屋寛善 : ウィキペディア日本語版
照屋寛善[てるや かんぜん]
照屋 寛善(てるや かんぜん、てるや ひろよし(〔博士論文書誌データベースによる但し沖縄ではかんぜんと読まれる〕)1920年 - 2004年)とは、戦後の沖縄の医療界の発展に尽した日本の医師である。また沖縄の古典芸能を研究した。

==略歴==
1920年1月沖縄県首里に生まれる。1942年九州医専(現久留米大学)卒業。内科の軍医になり南洋のナンボン島などに駐留。1946年復員、九州医専で勉強、後沖縄に帰る。宜野座の松田診療所勤務。沖縄には医師が少なく過労気味であったので1950年にそのことを訴えた。この反響は大きかった。既に始まっていた医学部留学制度は、50年には2回も募集があり、また、本土で勉強している沖縄出身の医師も帰還した人もいる〔英文で出たものはRyukyuan Review, Nov. 17, 1950〕。真和志診療所勤務。1951年2月結核発病。コザ病院に入院。治癒。1956年琉球衛生研究所所長。同年11月宮古島でソテツ中毒が発生。報告する。1960年2月訪問中の日本医師会武見太郎会長に直訴し、日本の厚生省や医師会からの医療援助を取りつける〔このことは、沖縄タイムス 1960年2月4日付けに、大々的に報道されている。〕。1960年3月30日学位論文「琉球列島におけるハブ咬症の疫学的研究」東京大学に受理。1961年琉球政府厚生局次長。1963年政府立那覇看護学校校長。1973年沖縄県公害衛生研究所医監。1978年琉球大学保健学部教授。1979年同学部長。1981年琉球大学医学部教授。1985年同退官。琉球大学名誉教授。1990年老人保健施設オリブ園施設長。2004年没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「照屋寛善」の詳細全文を読む




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