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滝川雄利 : ミニ英和和英辞書
滝川雄利[たきがわ かつとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たき]
 【名詞】 1. waterfall 
滝川 : [たきがわ, たきかわ, たかがわ, たかわ, たかかわ]
 【名詞】 1. rapids 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 

滝川雄利 : ウィキペディア日本語版
滝川雄利[たきがわ かつとし]

滝川 雄利(たきがわ かつとし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将大名伊勢神戸城主、のち常陸片野藩初代藩主。
==出自==
伊勢国司北畠家の庶流木造家の出身とされるが、父母については諸説あって一致を見ない。『寛永諸家系図伝』の木造氏系図〔『寛永諸家系図伝』第13, 続群書類従完成会, 1990, p. 212.〕では具康の娘、星合氏系図〔『寛永諸家系図伝』第13, 続群書類従完成会, 1990, p. 236.〕では俊茂の娘と北畠氏家臣・柘植三郎兵衛の間の子とし、滝川氏系図〔『寛永諸家系図伝』第12, 続群書類従完成会, 1988, p. 224.〕では具康の子とする。また、『寛政重修諸家譜』の編纂時に滝川家が提出した家譜では、雄利は具政(北畠宗家からの養子)の三男で母は俊茂の娘としていた〔『寛政重脩諸家譜. 第3輯』國民圖書, 1923, p. 424. 〕。さらに、『系図纂要』では俊茂の子になっている〔『系図纂要』第9冊上, 名著出版, 1991, p. 164.〕。
はじめ出家して源浄院の僧・主玄を称し、のちに還俗して滝川一益から滝川の苗字を与えられ、滝川三郎兵衛を名乗った。一益との関係は、娘婿に迎えられた〔阿部猛, 西村圭子編『戦国人名事典』新人物往来社, 1987, p. 476.〕ともいい、養子とされた可能性も指摘される〔谷口克広『織田信長家臣人名辞典』第2版, 吉川弘文館, 2010, pp. 265-266.〕。一益没落の後も、豊臣政権下で重用され、従五位下下総守に叙任、羽柴氏を賜姓された。江戸幕府に仕えた晩年まで羽柴下総守と称し、滝川に復姓したのは子息正利の代である〔「大猷院殿御実紀」巻21. 寛永2年11月7日条(『徳川実紀. 第貳編』経済雑誌社, 1904, p. 271. )〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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