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源平貴久 : ミニ英和和英辞書
源平貴久[げんぺい たかひさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
源平 : [げんぺい]
 【名詞】 1. Genji and Heike clans 2. two opposing sides
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

源平貴久 : ウィキペディア日本語版
源平貴久[げんぺい たかひさ]

源平 貴久(げんぺい たかひさ、1972年10月26日 - )は静岡県清水市(現静岡市出身の元サッカー選手、指導者。現在は専修大学サッカー部監督。
== 来歴 ==
小学4年の時に清水FCに参加してサッカーを始めた。高校は清水市立商業高校に進学し、1年生の時に第67回(1988年度)の全国高等学校サッカー選手権大会の優勝を経験し、2年生(1989年)と3年生(1990年)では全国高校総体サッカー大会(インターハイ)と全日本ユース選手権〔同大会は1989年にプレ大会として実施され、1990年に正式な第1回大会として開催された。〕 で連覇した〔啓新高等学校 中学生のためのスポーツ教室 講師紹介 〕。
1991年、神奈川県川崎市にある専修大学経営学部に進学し、東京都大学サッカーリーグに所属していた同大学のサッカー部でプレーした。1995年の同大学卒業後は富士通に入社し、アマチュア選手としてジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属して川崎市内で活動する自社の富士通サッカー部でプレーした。卒業直後からレギュラーを獲得し、ルーキーイヤーの1995年と、チームが「富士通川崎」と改名した1996年には旧JFLで9割以上の試合に出場した。しかし、1997年にクラブが川崎フロンターレとしてプロクラブ化し、Jリーグ経験者を大量に補強すると出場試合数は減り、このシーズンでは公式戦での先発出場はなく、シーズン後半になってから試合終盤の選手交代で途中出場する起用にとどまった。1998年には旧JFL開幕戦から4試合連続で先発起用されたが、その後は負傷もあってベンチにも入らず、同年限りでフロンターレを退団した。
1999年、他のJリーグクラブへの移籍などは行わず、富士通社員のままで母校である専修大学サッカー部のコーチに就任し、2005年には同部の監督となった。同大学は2004年に初めて関東大学サッカーリーグ戦の2部に昇格し、2006年には同1部への昇格を果たした。この時は1年で2部に降格したが、2008年には再び1部に昇格し、チーム史上最高の6位となった。2009年には2部へ降格も1年で1部へ再昇格。昇格1年目の2011年シーズンには圧倒的な攻撃力を武器にリーグ戦を制し、その勢いのまま第60回全日本大学サッカー選手権大会も制した。関東大学サッカーリーグ戦では2011年シーズンから2014年シーズンにかけて4連覇を達成している。
また、退団後も富士通社員であり、指導する専修大学サッカー部も川崎市内で練習を行う事から、源平とフロンターレの関係は続いている。専修大学とフロンターレが練習試合をする事があり、2006年9月17日に行われたフロンターレ10周年記念のOB戦には源平が参加して1得点と1アシストを挙げた〔k-press news 2006年9月17日付け記事 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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