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源多 : ミニ英和和英辞書
源多[みなもと の まさる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 

源多 : ウィキペディア日本語版
源多[みなもと の まさる]

源 多(みなもと の まさる、天長8年(831年) - 仁和4年10月17日888年11月24日))は平安時代前期の公卿仁明天皇の皇子(仁明第一源氏)。官位正二位右大臣従一位

== 経歴 ==
一般に仁明天皇第一源氏とされており、多の兄弟で源姓を賜与され臣籍降下した者たちを仁明源氏と称す。
承和2年(835年源朝臣の姓を賜与された。嘉祥2年(849年)正月には無位から従四位下に直叙され、翌年の嘉祥3年正月に阿波守に任ぜられたが、同年4月に父仁明天皇とともに出家した。しかし間もなく還俗したらしく、仁寿2年(852年)正月に阿波守に再任され、次いで宮内卿に転じて美作守備中守を兼任した。
斉衡元年(854年)8月28日、24歳の若さで参議に任ぜられた。参議として左兵衛督左衛門督を歴任するとともに、信濃伊勢備前近江の守を兼任している。清和朝において、貞観8年(866年従三位、貞観12年(870年中納言、貞観14年(872年大納言と順調に昇進し、貞観17年(875年正三位に叙位され按察使左近衛大将も兼ねた。
元慶3年(879年従二位、元慶6年(882年右大臣に任命され、その年職封半減を上表して許された。大納言昇進後の陽成天皇光孝天皇治世下において、上席の左大臣源融を凌ぐ権勢を持ち、上卿として多くの官符を奉勅宣布している。仁和3年(887年正二位に叙位されたが、翌仁和4年(888年)10月17日薨御享年58。最終官位は正二位右大臣兼左近衛大将。没後従一位追贈された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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