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渡辺泰輔 : ミニ英和和英辞書
渡辺泰輔[わたなべ たいすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [へん]
 【名詞】 1. (1) area 2. vicinity 3. (2) side (of triangle, rectangle, etc.) 4. (3) circumstances 
: [たい]
 【名詞】 1. Thailand  

渡辺泰輔 : ウィキペディア日本語版
渡辺泰輔[わたなべ たいすけ]

渡辺 泰輔 (わたなべ たいすけ、1942年7月13日 - )は、元プロ野球選手。ポジションは投手パームボールが武器。
== 来歴・人物 ==
福岡県直方市生まれ。慶應高校に進学したのは、当時八幡製鐵の監督だった加藤喜作が母校・慶應義塾大学に入れるため説得したもの〔石山建一 連載コラム ">アスリート列伝 凄い奴がいた 第5回 渡辺泰輔 | 石山建一 連載コラム 〕。2年生の時、1959年夏の甲子園県予選決勝に進むが、法政二高に敗れる。秋季関東地区大会で優勝し、翌1960年の春の選抜に出場。準々決勝まで進出し、今川敬三投手(早大)を擁する秋田商と対戦するが、延長11回1-2で敗退。同年夏は県予選準決勝で横浜商を相手にノーヒットノーランを達成。しかし決勝では法政二高の柴田勲と投げ合い、延長11回の激闘の末敗れる。法政二高は夏の甲子園で優勝。
慶應大学に進み、東京六大学リーグでは3度の優勝に貢献。特に1963年春・秋季リーグでは、山崎武昭龍隆行の二本柱を擁する法大との球史に残る優勝争いの主役となった(春は慶大、秋は法大が優勝)。1963年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で駒大を完封し優勝。1963年春季リーグから3季連続ベストナイン。リーグ通算46試合登板し29勝9敗、防御率1.33、198奪三振。大学同期に佐藤元彦井石礼司がいた。
1964年春季リーグ戦の対立大2回戦(5月17日)では、東京六大学野球史上初の完全試合を達成している〔史上初の完全試合、慶応・渡辺泰輔投手も六大学人気復活に貢献 - zakzak 〕(慶大 1-0 立大)。投球数82、内野ゴロ11、内野飛球4、外野飛球5、奪三振7の内容であった。相手の立大も春季3位、土井正三をはじめプロ入りした選手が4名おり、決して弱い打線ではなかった。
1965年南海ホークスへ入団。契約金は当時のプロ野球史上最高である5,000万円だった〔。1965年にはルーキーながら11試合に先発し、4勝をあげる。1966年にはシーズン後半に調子を上げ、皆川睦雄三浦清弘に次ぐ先発投手に成長、プロ生活最高成績となる16勝を記録しリーグ優勝に貢献した。巨人との戦いとなったこの年の日本シリーズでは全6戦中4戦に先発、第2戦では完投勝利。シリーズは南海が2勝4敗で敗退し、渡辺の成績は1勝2敗であったが、パームボールを駆使した好投が認められ敢闘賞を受賞。
1967年にも15勝をあげ、オールスターゲームに初出場。しかし翌年は故障もあって低迷する。1969年には先発として復活し9勝を記録するが、それまでの酷使の影響もあって段々と登板機会が減り、1972年限りで引退した。
主にスライダーやシュート、チェンジアップを使い、得意のパームボールを決め球にしていた。
引退後は野球界を去り、実家の鉄鋼業を継いで社長となった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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