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深山静夫 : ミニ英和和英辞書
深山静夫[みやま しずお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

深山 : [みやま, ふかやま, しんざん]
 【名詞】 1. mountain recesses 2. deep in the mountains
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

深山静夫 : ウィキペディア日本語版
深山静夫[みやま しずお]

深山 静夫(みやま しずお)は広島県出身の元サッカー選手日本代表選手(全日本)。ディフェンダー慶應義塾体育会ソッカー部創設者〔『風呼んで翔ける荒鷲よ ー慶応義塾体育会ソッカー部50年ー』 三田ソッカー倶楽部、1978年、19、21-25、161、283頁、歴史館 - 慶應義塾体育会ソッカー部 歴史館2≪主将、浜田諭吉氏 - 慶應義塾体育会ソッカー部 〕〔『栄光の足跡 広島サッカー85年史』 「広島サッカー85年史編纂委員会」 財団法人 広島県サッカー協会、2010年、25、28、38、39頁〕〔賀川サッカーライブラリー 〕〔賀川サッカーライブラリー 〕。
== 来歴 ==
野津謙は県立広島中学(現広島県立国泰寺高校)の一年先輩で〔『栄光の足跡 広島サッカー85年史』 「広島サッカー85年史編纂委員会」 財団法人 広島県サッカー協会、2010年、25、28、38、39頁〕同校を1917年卒業し慶應義塾大学へ進学。1919年1920年頃から、神戸一中出の範田竜平、明倫中学出の下出重喜、東京高等師範学校附属中学(現・筑波大学附属中学校・高等学校)出の斉藤久敏らとボールを蹴り始めた。
1921年、学内の有志を集めて「ブルー・サッカー倶楽部」を創部。同年「慶應アソシエーション・フットボール倶楽部」と改称(1927年慶應義塾体育会ソッカー部に名称変更)〔慶應義塾とサッカー:慶應義塾 〕〔〔〔〔。『慶応義塾体育会ソッカー部50年』の中に倶楽部創立にあたり、広島中学の先輩・野津謙の応援があったという記述が見られ〔『風呼んで翔ける荒鷲よ ー慶応義塾体育会ソッカー部50年ー』 19頁〕、また倶楽部創立発起人〔〔慶應義塾体育会ソッカー部創立発起人、深山静夫(広島一中)、範田竜平(神戸一中)、下出重喜(明倫中学)、千野正人(神戸一中)、斉藤久敏(附属中学)(慶応義塾体育会ソッカー部50年、23頁)。〕のうち、深山が最年長者であることから〔創立発起人5名のうち、深山は1923年に慶應義塾大学を卒業するが、他の4名は翌1924年にも大学に在籍している(慶応義塾体育会ソッカー部50年、23頁)。〕、倶楽部創立の中心人物と考えられる。
1921年11月に東京で行なわれた第1回ア式蹴球全国優勝大会天皇杯の前身)関東予選に参加したが、2回戦で全国優勝した東京蹴球団に敗れた。また野津と共に同年9月の大日本蹴球協会(日本サッカー協会)の創立にも参画した〔。
1923年、慶應義塾大学を卒業し大阪に勤務。同年大阪であった第6回極東選手権日本代表の関西倶楽部に補強されディフェンダーとして国際Aマッチ2試合(フィリピン中華民国戦)にフル出場。その後、広島に帰郷。鯉城蹴球団(鯉城クラブ)の創設に参加し1924年1925年には同チームの中心的プレイヤーとして清水直右衛門らと第4回ア式蹴球全国優勝大会天皇杯の前身)兼第1回神宮大会及び、第5回ア式蹴球大会、第2回神宮大会を二連覇した〔。また1924年第7回全国中等学校選手権(現全国高等学校サッカー選手権大会)と1928年第10回大会の審判員等も務めた。
1928年進徳高女教員となると大日本蹴球協会(日本サッカー協会)中国支部の代表者として運営に専念。自宅を事務局にして長年その運営に当たった。1941年愛知県に転出するまでサッカーに関わったという〔。
※戦前の国際試合を日本サッカー協会は、Aマッチと認定をしていなかったが2007年6月、第6回以降の極東選手権大会を含む20試合をAマッチ認定に変更した。このため深山らの出場した第6回極東選手権対・フィリピン戦(1923年5月23日)が、日本の国際Aマッチ第一戦となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「深山静夫」の詳細全文を読む




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