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河辺満甕 : ミニ英和和英辞書
河辺満甕[かわべ みつかめ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [へん]
 【名詞】 1. (1) area 2. vicinity 3. (2) side (of triangle, rectangle, etc.) 4. (3) circumstances 
: [みか, かめ]
 【名詞】 1. jar 2. jug 3. vat 4. urn 5. vase

河辺満甕 : ウィキペディア日本語版
河辺満甕[かわべ みつかめ]
河辺 満甕(かわべ みつかめ、1897年7月29日 - 1970年5月9日)は日本の牧師伝道者、教育者。
== 生涯 ==
1897年(明治30年)兵庫県生まれ。河辺貞吉の長男として淡路島福良に生まれる。関西学院文学部卒業した後、1920年(大正9年)にアメリカ合衆国に留学しグリーンビル・カレッジに留学し、その後ドルー神学校で学んだ後、イギリスに渡りエディンバラ大学オックスフォード大学で学ぶ。その後、エルサレムアメリカ東洋研究所員になり、W・F・オルブライトの指導を受ける。1925年(大正14年)帰国。林順と結婚し、関西学院文学部教授に就任する。のち予科長、高校校長、宗教総主事をつとめる一方、自由メソヂスト教会教職として牧会にも従事する。
1948年自由メソヂスト教会を離れ自宅を開放し開拓伝道を始め、単立千里山基督教会を設立する。1949年(昭和24年)関西学院を一時休職してカナダに渡りトロント大学で学び、1950年(昭和25年)には博士号を取得する。
1962年(昭和37年)に関西学院を辞職し伝道に専念する。1963年(昭和38年)河辺貞吉記念礼拝堂を建設する。産婦人科幼稚園、教会学校体育館、祈祷室、集会・宿泊所「シオン・ロッジ」などの建設を計画し、4500坪の丘陵を「シオンの丘」と名付け、施設の建設を行った。また、ケズィック・コンベンション大阪朝祷会などの超教派の活動を行う。
晩年は、信徒教育のための「シオン聖書学校」を開校した。1970年(昭和45年)に死去する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「河辺満甕」の詳細全文を読む




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