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池内友次郎 : ミニ英和和英辞書
池内友次郎[いけのうち ともじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いけ]
 【名詞】 1. pond 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [とも]
 【名詞】 1. friend 2. companion 3. pal 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

池内友次郎 : ウィキペディア日本語版
池内友次郎[いけのうち ともじろう]

池内 友次郎(いけのうち ともじろう、1906年10月21日 - 1991年3月9日)は日本作曲家音楽教育家俳人
== 経歴 ==
俳人高浜虚子の次男として東京市麹町区富士見町(現・東京都千代田区富士見)に生まれる。5歳から鎌倉に育ち、鎌倉師範附属小学校(現・横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉小学校)から開成中学校を経て慶應義塾大学予科を2年で中退。1927年フランスに渡りパリ音楽院に入学。フォーシェビュッセルらに音楽理論作曲を学ぶ。1937年帰国。
帰国後、日本大学芸術科教授を経て、1947年東京藝術大学作曲科教授に就任。1952年レジオンドヌール勲章シュバリエ章、1975年勲三等旭日中綬章を受章。1986年文化功労者となる。1991年脳内出血のため逝去。
妻芳枝との間に3人の子があった。その妻の死後、1973年ピアニスト遠藤郁子と再婚した(後に離婚)。芳枝との間の次女の池内睦子(ヴァイオリニスト)は、アメリカ人ピアニストでパシフィック大学教授のレックス・クーパーと結婚。睦子とレックスの間に生まれた娘がチェリストクリスティーナ・レイコ・クーパーである。
日本における西洋音楽教育は、戦前までドイツの流れを汲むものを主体としていたが、池内は日本人としては初めてパリ音楽院に入学し、フランス流の作曲技法を日本に持ち帰った。音楽理論を中心に多数の翻訳・著書があり、また門下から多数の作曲家を輩出した。特に東京藝術大学着任以降は、同大学の作曲・ソルフェージュの教育は次第にフランス流のものが主流となり、その影響は同大学のみならず日本の音楽教育全体に及んだ。作曲家としての作品の数はそれほど多いとは言えないが、音楽教育・作曲教育方面に遺した足跡は大きい。
俳人としては、フランス留学以前から父の影響で創作を始め、父の主宰する俳句文芸誌「ホトトギス」にも参加していた。句集に『調布まで』『池内友次郎全句集』などがある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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