翻訳と辞書
Words near each other
・ 永宝千晶
・ 永宣君
・ 永宣旨
・ 永宮健夫
・ 永宮寺 (あわら市)
・ 永宮正治
・ 永富大地
・ 永富家住宅
・ 永富映次郎
・ 永富有紀
永富独嘯庵
・ 永寧
・ 永寧 (後趙)
・ 永寧 (晋)
・ 永寧 (漢)
・ 永寧 (范玉)
・ 永寧公主
・ 永寧寺
・ 永寧県
・ 永寧県 (保定市)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

永富独嘯庵 : ミニ英和和英辞書
永富独嘯庵[ながとみ どくしょうあん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 
: [どいつ]
 (n) Germany
: [いおり]
 【名詞】 1. hermitage 2. retreat 

永富独嘯庵 : ウィキペディア日本語版
永富独嘯庵[ながとみ どくしょうあん]
永富 独嘯庵(ながとみ どくしょうあん、享保17年2月14日1732年3月10日) - 明和3年3月5日1766年4月13日)は江戸時代中期の医師である。山脇東洋の門下であり、古方派の医師であるが、古方派に欠けるところは西洋医学などで補うことを主張した。35歳で没した。
==生涯==
長門国豊浦郡宇部村(山口県下関市長府町王司)に生まれた。幼名は鳳介。13歳で医師、永富友庵の養子となった。14歳で江戸に出て医学の修業を始めるが、医学にあきたらず山県周南のもとで儒学を学んだ。17歳で帰郷して儒学を講じてすごすが、京都の古方派の山脇東洋香川修庵の存在を知り、京都に赴き東洋の門人となった。以後、医学に熱意をもって取り組み、その才能は広く知られるようになった。諸侯から多くの招聘の声がかかるが、東洋は任官を勧めなかった。21歳の時、東洋に命じられて越前の奥村良筑のもとに赴き、「吐方」(嘔吐させて治療する方法)を学んだ。29歳の時、病をため、家を離れ諸国を漫遊した。長崎ではオランダ医学を吉雄耕牛に学んだ。この旅行の見聞をまとめて『漫遊雑記』として著された。『漫遊雑記』を華岡青洲が読み、乳がん手術を行う契機になったとされる。30歳のとき大阪で開業し、多くの門人を育てるが35歳で病没した〔『生きる糧となる医の名言』荒井保男(著)中央公論新社(2006年)ISBN 4120037630〕。
著書に『漫遊雑記』『吐方考』『嚢語』などがある。独嘯庵の言葉に、「病を診すること年ごとに多きに技為すこと年ごとに拙し。益々知る、理を究ることは易く、事に応ずることは難きことを。」がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「永富独嘯庵」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.