翻訳と辞書
Words near each other
・ 水田三喜男
・ 水田中耕除草機
・ 水田伸生
・ 水田作
・ 水田作物
・ 水田健斗
・ 水田単作
・ 水田和幸
・ 水田土壌
・ 水田圭介
水田天満宮
・ 水田宗子
・ 水田広行
・ 水田恐竜
・ 水田成英
・ 水田月満
・ 水田村
・ 水田村 (岡山県)
・ 水田正秀
・ 水田正道


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

水田天満宮 : ミニ英和和英辞書
水田天満宮[みずたてんまんぐう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

水田 : [すいでん]
 【名詞】 1. (water-filled) paddy field 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [てん]
 【名詞】 1. heaven 2. sky 

水田天満宮 : ウィキペディア日本語版
水田天満宮[みずたてんまんぐう]

水田天満宮(みずたてんまんぐう)は、福岡県筑後市にある菅原道真を祭神とする神社天満宮)。境内末社の恋木神社(こいのきじんじゃ)も縁結びの神社として有名。
==歴史==
社伝によれば1226年嘉禄2年)、後堀河天皇の勅命により菅原道真の後裔で菅原氏長者(当主)菅原為長によって創建されたという。当地に太宰府天満宮荘園で菅原氏一族の大鳥居氏が支配する「水田荘」があって、その鎮守であった。旧名は安楽寺所司神人所〔安楽寺は太宰府天満宮の神宮寺名〕、老松宮など。太宰府に次ぐ九州第二の天満宮と称する。
江戸時代は史料上では「水田天神」の名で記載されている。田中忠政の代とされる「田中筑後守殿家人数並知行」に『千石 水田天神領』とあり、寺社としての序列は3位。田中氏断絶後、立花氏が柳川、有馬氏が久留米に入って筑後国が分割されて以降久留米藩主・柳川藩主等の帰依を得た。立花氏時代の柳川藩の資料「延宝九酉年知行取無足扶持方共」(1681年)に『同(高)五拾石 水田天神宮社領』とあり、柳河藩寺社では14位の位置付けで清水寺の下、祇園宮社の上に記載されている。
幕末期に久留米藩の尊王派学者・志士で久留米水天宮神職でもあった真木保臣(真木和泉守)が藩政改革の失敗により蟄居謹慎のため弟の大鳥居家(水田天満宮神職)に寄寓していた時に住んでいた家「山梔窩」(さんしか、福岡県指定史跡)が境内にある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「水田天満宮」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.