翻訳と辞書
Words near each other
・ 権藤俊輔
・ 権藤博
・ 権藤恒夫
・ 権藤成卿
・ 権藤晋
・ 権藤朱実
・ 権藤栄作
・ 権藤正利
・ 権藤正威
・ 権藤知彦
権藤花代
・ 権藤芳一
・ 権藤貫一
・ 権藤貴志
・ 権藤麻由子
・ 権衡
・ 権記
・ 権謀
・ 権謀術数
・ 権謀術策


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

権藤花代 : ミニ英和和英辞書
権藤花代[ごんどう はなよ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けん, ごん]
  1. (n,n-suf) authority 2. the right (to do something) 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [はな]
 【名詞】 1. flower 2. petal 
花代 : [はなよ, はなだい]
 【名詞】 1. price of flowers 2. fee for a woman's companionship
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

権藤花代 : ウィキペディア日本語版
権藤花代[ごんどう はなよ]

権藤 はなよ(ごんどう はなよ、1899年(明治32年)4月13日 - 1961年(昭和36年)11月3日)は、唱歌「たなばたさま」作詞者・童謡詩人。本名は権藤はなよ。結婚前は伊藤はなよの旧姓で作品を発表、結婚後はペンネーム権藤はな子を使っていた。平成20年頃までは、「権藤花代」という漢字名が使用されていたが、その後は本名の「権藤はなよ」が一般的になっている。実兄の伊藤生更アララギ派の歌人であり、短歌結社「美知思波」を創立している。
==経歴==
1899年(明治32年)山梨県北巨摩郡穴山村(現・韮崎市穴山町)に、父・伊藤友重(ともじゅう)、母・やよの次女として生まれる。
1919年(大正8年)山梨県師範学校(現・山梨大学)を卒業。母校の穴山尋常小学校に勤務。大正後期から昭和初期にかけては、童謡運動の全盛期であった。数多くの児童雑誌が出版される中、はなよの文学への強い思いは上京を決意するに至る。出版社に勤めながら、野口雨情千葉省三に師事し、『金の星』『童話』などに童謡詩、童話を発表した。
1924年(大正13年)5月、宮崎県延岡出身の声楽家・権藤円立と結婚。野口雨情の媒酌による結婚式は、兄の住む甲府で行われた。結婚後、一年余り夫の勤務地である大阪でくらしたが、大正14年の暮れには再び上京して、武蔵野村(現・武蔵野市)吉祥寺に住むことになる。野口雨情は大正13年より吉祥寺に居住し、また権藤円立と東京音楽学校(現・東京芸術大学)時代からの親友であった藤井清水(作曲家)も大正15年には吉祥寺に転居して、三家族は親交を深めていった。藤井清水の伴奏で権藤円立が歌い野口雨情が講演をする、といった形式の演奏旅行は全国に及び「楽浪園の三羽烏」と呼ばれていた。
はなよは、昭和2年から8年9月まで武蔵野村第一尋常小学校(現・武蔵野市立第一小学校)に勤めた。この間の1932年(昭和7年)に、権藤はな子童謡集『雪こんこお馬』を上梓。平成8年には復刻版が出版されている。野口雨情が序文を執筆しており、『日本の童謡』畑中圭一著によれば、女性による最初の童謡集であった(136頁)。収録の詩篇の初出掲載誌は『童話文学』『しゃぼん玉』等である。
はなよの作品は、童謡集収録の作品も含めて、それ以外の作品も童謡曲、歌曲として出版されている。野口雨情が『童謡十講』の中で「童謡は唄うもの」と語っているように、はなよの詩篇は唄うことを前提に書かれているため、多くの作曲家の手により楽譜として出版されている作品が多い。『作曲家 藤井清水』の巻末、作曲年表によれば、藤井清水が作曲した花代作詞の童謡曲は19曲あり、出版されていない藤井清水の自筆楽譜は、日本近代音楽館が所蔵する(「お寺の銀杏」の楽譜は、呉市藤井清水の会所蔵)。
昭和初期の東京は、社会運動も盛んであったが、宗教運動の高まりもあった。夫の権藤円立は、寺院の生まれで仏教聖歌の普及に力を注いでおり、はなよは、仏教童謡の作詞も多く手掛けている。昭和16年の教科書採用以前、文部省宗教局内、仏教音楽協会発行『仏教聖歌』に8曲の楽譜が遺る。『日本流行歌史』上巻(77頁)には、仏教童謡の興隆に尽くした人として山田耕筰らとともに名前が挙げられている。
また昭和10年からは、甲府に住む兄の伊藤生更が主宰する短歌雑誌『美知思波』に、毎月短歌を出詠し、昭和30年までに詠んだ短歌は千首に及ぶ。当初は、東京支部を権藤宅に置き、歌会も自宅で開いている。花代の短歌は、童謡詩と同じように望郷の歌が多い。歌評においては、同人の短歌に対して助言めいたことは一切言わず、良いところだけを挙げ共感を表している。カドの立つことが言えない性格であった。
ひろく世に知られている「たなばたさま」は、昭和16年に「国民学校令」が制定され国定教科書が編纂される際、「文部省が題材を指定の上、作詞を依頼した」(『音楽教育の証言者たち』上巻219頁)三作品中の一つである。一番の終わりに「砂子」という雅語を置いたのは、二番の頭の「五色」のゴ音が重なり、子供たちが二番を自然に歌い出すことができるように工夫したからである。「砂子」とは星くずを、金箔・銀箔の粉末を吹き付けた様子に例えているが、天の川の川原の砂と兼ねている。「五色」とは中国の陰陽五行思想からくる「五色」である。作曲したのは下総皖一で、「うたのほん 下」(国民学校2年生用)に掲載された。
筆者は、権藤はなよと血縁があり、文部省に提出した原詩は次のようであったと聞いている。
   ささの葉 / さらさら
   のきばに / ゆれる

   きらきら / お星さま
   きんぎん / すなご

   ごしきの / たんざく
   わたしが / かいた

   きらきら / お星さま
   そらから / みてる

主観を押しつけない表現が、アララギ系歌人らしい。冒頭の「サ」音の連続が印象深い。凝縮された言葉は、子供たちに覚えやすく余情をかもし出している。七夕飾りが「ゆれる」とは、夏の夜風が吹いてきたことを表わす。一番の「お星さま」は、下から見上げている星であり、二番の「お星さま」は空から見ている星である。「わたし」という一人称の措辞には、子供たちに共感をもって歌ってもらいたい、という花代の願いが込められている。最終行は、俯瞰した形になっており、身近な世界から一気に宇宙へと広がりをもって終わる。歌詞の中に「たなばた」という語は用いていないが、七夕飾りの傍らに佇む幼子が夜空を見上げ、お星さまと会話をしているような美しい情景を浮かび上がらせている。
二連と四連の「きらきら / お星さま」は、昭和16年の教科書に発表された時、「お星さま / きらきら」と入れ替えられていた。原詩は、前半をすべて4音で揃え、第2連は「キ音」の頭韻を踏んでいるが、曲として完成する時「おーほしさーま」のフレーズを盛り上がるようにしたかったのは作曲家の発想だと考えるのが極めて自然である。下総皖一が著した『作曲法』第三章第七節「詩に作曲する時」には、旋律とするに最も適した詩は起承転結の四行の詩である、という主旨が述べられている。また、「できるなら、上が大きくて下が小さい字数の方が旋律を作り易いのです」とも述べている。歌は、作詞者と作曲者の共同著作物であるから、作曲者が歌詞を入れ替えたとしても、まったく問題はない。むしろ音楽的に見れば、日本における西洋音楽の礎を築いた下総氏の作曲によって詩が生かされた、ともいえる。一部の入れ替えはあったが、一字の加筆もない。権藤はなよの遺族は、林柳波による昭和26年の改ざんの事実があることから、「林柳波により現行のように「おほしさま きらきら」にあらためられた」(『日本童謡のあゆみ』225頁)と勘違いをしたようである。
なお、花代は、まったく異なる2編の「七夕さま」を作詞している。権藤はな子童謡集『雪こんこお馬』に「七夕さん」と題した詩が収録されているが、この詩は教員仲間であった坊田かずま(作曲家)のために書いた詩であり、1931年(昭和6年)コロムビアよりSPレコードとして発売されている(製造番号26352ーA)。このレコードは、国立国会図書館に保管されているが、わらべ歌音階による純粋な<わらべ歌>の「七夕さま」である。『コロムビアレコード 総目録』邦楽 1932年版(60頁)、及び『音楽教育郷土化の理論と実際』坊田かずま著 昭和7年発行(130頁)にも明記されている。 今もなお愛唱されている下総皖一作曲の「たなばたさま」が発表された年の10年前のことである。10年前の詩は、十五行で綴られており最終行は「きらきらお星が光ります」となっている。歳月を経ても詩人にとっては、お星さまがきらきら光るのではなく、きらきら光るのがお星さまだったのである。
権藤花代の性格については、小茂田信男著『雨情と新民謡運動』(63頁)に記されているが、「万事ひかえ目で、謙虚で飾り気のない誠実な人柄」であった。さらに「私なぞ随分親しくさせて頂いていながら「たなばたなま」の作詞者であることを知ったのは、かなりたってからである」とも述べられている。このように花代は、自身の業績について関係者以外、自分の口から語ることはなかった。
1961年(昭和36年)死去。享年62。夫・権藤円立の生まれ故郷、宮崎県延岡市の「光勝寺」に眠る。
2013年(平成25年)権藤はなよの古里、山梨県韮崎市穴山町内に9基の童謡詩碑が建立されている。韮崎市観光協会

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「権藤花代」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.