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森下祐哉 : ミニ英和和英辞書
森下祐哉[もりした]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もり]
 【名詞】 1. forest 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [や]
 (n) question mark

森下祐哉 ( リダイレクト:土佐豊祐哉 ) : ウィキペディア日本語版
土佐豊祐哉[とさゆたか ゆうや]

土佐豊 祐哉(とさゆたか ゆうや、1985年3月10日- )は、高知県土佐市出身で時津風部屋に所属していた元大相撲力士。本名は森下 祐哉(もりした ゆうや)、愛称はゴリ。〔2009年9月場所12日目の『どすこいFM』では解説を務めていた錣山(元関脇・寺尾)と時津風(元幕内・時津海)の発言〕現役時代の体格は身長179cm、体重146kg、血液型はO型。得意手は右四つ、投げ。最高位は東前頭筆頭(2011年7月場所)。趣味は銭湯巡り。
現在は年寄・安治川を襲名し、時津風部屋で後進の指導に当たっている。
== 人物・来歴 ==
高知県立高知工業高等学校時代に高校横綱のタイトルを獲得し、東京農業大学に進学した。学生相撲でも活躍するが、幕下付出対象のタイトル獲得は果たせなかった。2007年3月場所にて前相撲で初土俵を踏み、一番出世を果たした。高知工高卒業者の角界入りは、増健亘志以来。5月場所を序ノ口で6勝1敗とすると、7月場所から11月場所まで序二段・三段目・幕下の各段を三場所連続で優勝すると、翌2008年1月場所は東幕下4枚目で5勝2敗とし、高鐵山(後の小結・板井)に並ぶ史上最速タイの、前相撲からの所要6場所での十両昇進を果たした。この間、2007年5月場所6日目に東洋大学出身で同期の寺下に敗れてから、2008年1月場所11日目に阿覧に敗れるまで、幕下以下の連勝記録では最長となる30連勝を記録した。
2008年3月場所で新十両に昇進。高知県からの新十両は、2006年9月場所の栃煌山以来。その場所は場所前に前師匠と兄弟子が序ノ口力士暴行死事件で逮捕、書類送検された余波もあってか中盤まで不振が続き、その後持ち直したものの12日目に右足の指を痛めた影響もあり6勝9敗に終わり、5月場所は幕下筆頭に陥落したが勝ち越して7月場所には十両に復帰しその場所で勝ち越し、9月場所は11勝4敗と好成績をあげた。十両2枚目で迎えた11月場所では千秋楽で負け越して新入幕を逃した。
2009年1月場所と3月場所で連続で勝ち越し、そして東十両筆頭で迎えた5月場所で9勝6敗で勝ち越して、7月場所で新入幕。高知県からの新入幕は、2007年3月場所の栃煌山以来。その場所は西前頭14枚目で8勝7敗と勝ち越した。翌9月場所は6勝9敗と幕内で初めて負け越した。この場所はうっちゃりを打とうとする場面が目立ち、師匠の時津風が場所12日目の『どすこいFM』の中継で「僕も危ないから止めろって言ったんですけど、今場所はうっちゃりに賭けてますとか訳のわからんことを言ってました」とその試みを怪訝そうに見守っていた。〔結局この場所は1番もうっちゃりを決まり手とすることができなかった。〕翌11月場所は8勝7敗と2場所ぶりに勝ち越した。
2010年1月場所では10勝5敗と幕内で初めての2けた勝利を挙げた。2011年7月場所は東前頭筆頭まで番付を上げた。その場所は3日目の琴欧洲戦で負傷してしまい、4日目から初土俵以来初の途中休場となった。全治3ヶ月とされていたが翌9月場所は強行出場して4勝11敗と大きく負け越し、11月場所では十両に陥落。1場所で幕内へ戻ったが、翌2012年1月場所で4勝11敗と大きく負け越して、翌3月場所では再び十両に陥落した。7月場所では負傷のため8日目から途中休場し、翌9月場所以降は休場を続け、三段目(西三段目84枚目)まで番付が降下していたが、2013年3月場所より復帰。休場直後に手術して「普通に歩けなかった」状態から半年間に渡るリハビリを行ったと伝わっている。〔土佐豊、戦後最も低い位置から再入幕 nikkansports.com 2014年12月25日9時36分 紙面から〕復帰した3月場所は7戦全勝で三段目優勝を果たし、完全復活を果たした。その後番付を西幕下12枚目まで戻したが同年9月場所は3連敗の後に途中休場。翌11月場所では7戦全勝で単独での幕下優勝を果たした。西幕下5枚目まで番付を上げた2014年1月場所でも5勝2敗の好成績を挙げ、東幕下筆頭となった翌3月場所でも5勝2敗の好成績を挙げ、翌5月場所では11場所ぶりの十両復帰となった。
2015年1月場所では2度目の再入幕(西前頭16枚目)、戦後最も下位の番付から再入幕を果たした記録となり、また騏乃嵐以来となる史上2度目の幕内から三段目まで陥落した後の再入幕となった。ところがこの場所は1勝も挙げられず3日目から途中休場。以降も膝の状態が思わしくなく、同年5月場所は西十両14枚目と幕下陥落まで後がないところまで地位を下げ、この場所を7勝8敗で終えて関取の地位を離れた。〔『相撲』2015年6月号73ページ〕
再び幕下に転落すると、1勝6敗と大きく負け越し、その後2場所の全休を挟んで三段目に落ちた2016年1月場所で再起を賭けた土俵に上がるも、膝の調子が思わしくなく、場所の13日目(1月22日)に現役を引退した。引退後は年寄「安治川」を襲名した。〔元幕内土佐豊が引退 膝の負傷完治せず デイリースポーツonline 2016年1月22日(2016年1月22日閲覧)〕
2016年2月5日、タレントでマジシャンの小泉エリとの結婚を発表した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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