翻訳と辞書
Words near each other
・ 棗佑喜
・ 棗園駅
・ 棗庄
・ 棗庄市
・ 棗強
・ 棗強県
・ 棗恭介
・ 棗拠
・ 棗村
・ 棗椰子
棗祗
・ 棗荘
・ 棗荘市
・ 棗鈴
・ 棗陽
・ 棗陽市
・ 棘
・ 棘 (植物)
・ 棘-toge-
・ 棘、脊髄


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

棗祗 : ミニ英和和英辞書
棗祗[そう し]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なつめ]
 (n) jujube (tree)

棗祗 : ウィキペディア日本語版
棗祗[そう し]

棗 祗(そう し、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の政治家、武将。豫州潁川郡の人。子は棗処中。
== 事跡 ==
天性の忠義と才能を有すると評された。董卓討伐に従事し、各所を征討した。その後、冀州袁紹からも招聘があったが、棗祗は兗州曹操を頼り、東阿県令に任命された。
興平元年(194年)、張邈陳宮らが曹操に叛逆し、兗州のほとんどを制圧したが、鄄城・范・東阿の3城は反乱軍に対して抵抗を続けた。この時、棗祗は東阿の官民を統率して守備を固めていた。陳宮は自ら兵を率いて東阿を攻撃しようとしたが、程昱が倉亭津の渡しを断ち切ったので行軍が遅れ、結局は東阿攻撃が失敗した。
建安元年(196年)、羽林監となっていた棗祗は、曹操に対し韓浩らと共に屯田制の実行を進言した。最初、曹操は採用をためらったが、棗祗があくまでその採用を主張したため、棗祗を屯田都尉に任命して実行させた。その結果、顕著な成果を挙げたため、屯田制は後に任峻により大々的に展開され、曹操陣営の軍事力強化に大きく貢献した。
しかしその後、棗祗は早死してしまった。死後、曹操は彼に郡太守の地位を追贈した。また、に採り立てられるべきであったのに、それが叶わなかったとして、彼の子に棗祗の爵位・領地を与え父を祭らせた。
小説『三国志演義』には登場しない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「棗祗」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.