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梥本一洋 : ミニ英和和英辞書
梥本一洋[いち]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [いち]
  1. (num) one 

梥本一洋 ( リダイレクト:松本一洋 ) : ウィキペディア日本語版
松本一洋[いち]

梥本 一洋(まつもと いちよう、1893年明治26年)11月29日-1952年昭和27年)3月9日)は、明治時代から昭和時代にかけてのに日本画家

== 来歴 ==
京都中京区油小路四条上ルで、染色図案を営む家の4人兄弟のうち長男として生まれる。本名は謹之助。弟も日本画家の梥本武雄。家は祖父の代から日本画家を出すことを志しており、父吉次郎も菊池芳文に入門し芳樹と号した。しかし、途中で諦め息子たちを日本画家になるよう教育した。1899年(明治32年)本能小学校入学、1905年高等小学校に進む。1910年(明治43年)京都市立美術工芸学校に進学。卒業した後、1912年(明治45年)京都市立絵画専門学校に進み、1915年大正4年)に卒業する。卒業後山元春挙画塾早苗会に入門、一洋の号を名乗る。春挙死後は川村曼舟に師事、同会の重鎮となり歴史画を得意とした。
1915年(大正4年)の第9回文展で「壬生狂言の楽屋」初入選、1919年(大正8年)の第1回帝展で「秋の夜長物語」が入選を果たすと、以降、帝展において常連となった。1927年(昭和2年)の第8回帝展で「蝉丸」、1928年(昭和3年)の第9回帝展において「餞春」で連続で特選を獲得している。これ以降の帝展・新文展では無鑑査となり、しばしば審査員を務めた。一方で、1924年(大正13年)京都府立美術工芸学校教授に就任、翌年京都市立絵画専門学校助教授となり、1936年(昭和11年)から同校教授として1949年(昭和24年)まで後進の指導にあたっている。1943年(昭和18年)には早苗会を解散、新たに耕人社を結成する。第二次世界大戦後は日展において活躍、1949年(昭和24年)に依嘱となり、1950年(昭和25年)から日展運営参事となった。しかし翌年、肺癌により上京区の自宅で死去。享年58。法名は寂常院釈一洋、墓所は寶蓮寺。
古典を題材とした物語絵や歴史風俗画を得意とし、新興大和絵風の作品が多い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松本一洋」の詳細全文を読む




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