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梁啓超 : ミニ英和和英辞書
梁啓超[りょう けいちょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はり]
 【名詞】 1. a beam 
: [ちょう]
  1. (n,n-suf,pref) super- 2. ultra- 3. hyper- 

梁啓超 : ウィキペディア日本語版
梁啓超[りょう けいちょう]

梁 啓超(りょう けいちょう)は清末民初政治家ジャーナリスト歴史学者。字は卓如、号は任公、飲冰室主人など。さらに中国之新民他きわめて多数のペンネームをもつ。
建築家・建築史家の梁思成は長男、考古学者梁思永は次男にあたる。
==生涯==

=== 生い立ち(1873-1895) ===
15歳の時に広東屈指の書院であった学海堂で学び、戴震段玉裁王念孫などの訓詁・名物・制度についての考証学を修めた。極めて成績優秀であり、17歳で広東郷試に合格し挙人となった。なおその成績から将来を嘱望された為、この時の試験官の李端棻の従妹と望まれて婚約もしている。
18歳の時に康有為が広東省南海に追放されてくると、友人の陳千秋とともに面会を求めて大いに共鳴し、康有為にすすめて万木草堂という学校を開かせた。数ヶ月、万木草堂で『公羊伝』『資治通鑑』などを学んだが、一種の共産的理想社会の建設を説く康有為の大同思想の教えを聞かされ驚喜し、学海堂にもどって宣伝し長老や仲間との論戦に明け暮れた。梁啓超は康有為と出会って以後、その片腕として活動していくことになる。しばしば北京に遊学する間に譚嗣同と知り合い、大同思想や王夫之の学問について意見を交換した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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