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桜井孝雄 : ミニ英和和英辞書
桜井孝雄[さくらい たかお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さくら]
 【名詞】 1. (1) cherry blossom 2. cherry tree 3. (2) decoy 4. fake buyer 5. shill 6. (3) hired applauder 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

桜井孝雄 : ウィキペディア日本語版
桜井孝雄[さくらい たかお]

桜井 孝雄(さくらい たかお、男性、1941年9月25日 - 2012年1月10日)は、日本の元アマチュアボクシング選手・プロボクサー千葉県佐原市(現・香取市)出身。中央大学卒業。1964年東京オリンピック・バンタム級金メダリストOBF東洋バンタム級王者。
天性の勘と磨かれた技術、優れたフットワークを持ち、金メダリストとして鳴り物入りでプロ入りしたものの、ボクシングに対しクール過ぎる性格が災いし「安全運転」と称された消極的ボクシングを展開。当時のプロのバンタム級はファイティング原田ルーベン・オリバレスらが王座を保持して世界の壁が厚く、これを突破することはできなかった。しかし、2012年に村田諒太ロンドン・オリンピックミドル級で金メダルを獲得するまでの48年間、アマチュアボクシングでは五輪のみならず世界選手権を合わせても唯一の日本の金メダリストであり、アマチュアボクシング界に残した功績は大きかった。
== 来歴 ==

=== アマチュア時代 ===
1941年、千葉県佐原市に生まれる。幼少期の野山を駆け回る生活がボクシングでの勘を育んだと桜井は後に述懐している。千葉県立佐原第一高等学校(現在の千葉県立佐原高等学校)の定時制で学び、授業でボクシングを選択した。1960年にインターハイで優勝した際に中央大学ボクシング部から声がかかり、同大学に進学。2年先輩に日本で初めてボクシングで五輪メダリストとなった田辺清がおり〔、2年間合宿生活などをともにした。1963年、全日本アマチュアボクシング選手権大会優勝。
1964年、東京オリンピックのバンタム級で金メダルを獲得。大会前には海外遠征を繰り返し〔、決勝では鄭申朝(韓国)に2回RSC勝ちを収めた。涙を見せなかったことを問われると、「水を飲んでいないから涙も出ない」と答えている〔。アマチュア通算戦績は、155戦138勝 (45KO・RSC) 13敗〔。
オリンピック前から、大学の先輩がトレーナーをしていた縁で三迫仁志が会長を務める三迫ボクシングジムで練習していたが〔、当時のボクシング界はアマチュアとプロの交流がなく、桜井は「ばれたら代表からも外されていた」と後に語っている。プロボクシング界は桜井の争奪戦を展開したが、当初は東京五輪監督で大学の恩師でもあった田中宗夫の紹介で中央大学職員として就職が内定しており〔、「プロに行かず、大学に残る」と発表されていた。しかし、スポーツ紙が桜井の三迫ジム入りを1面に掲載すると大学側は激昂し、桜井はボクシング部から除籍されてOB会名簿にも載らず〔、文化章も取り消された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「桜井孝雄」の詳細全文を読む




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