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桂春輔 : ミニ英和和英辞書
桂春輔[かつら はるすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けい, かつら]
 (n) (abbr) knight (shogi)
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 

桂春輔 : ウィキペディア日本語版
桂春輔[かつら はるすけ]
桂 春輔(かつら はるすけ)は、上方落語名跡桂春團治の系統。現在は空き名跡となっている。
== 初代 ==
初代 桂春輔1881年9月23日 - 1948年秋頃)は、本名: 浅川重太郎。
大阪阿波座問屋町の金網職人の倅で素人落語の舞台を経験した後に1905年2代目桂文之助の門下で文の家(文廼家)春輔、この頃は互楽派所属で活躍、1908年6代目林家正楽門下で正隆。1909年初代桂春團治門下で春輔を名乗る。1928年頃には上京して東京5代目三升家小勝門下で勝團治を名乗っていた時期もあるという。1934年神戸に拠点を移し吉原興業に属し活躍、新開地千代之座中心に人気があったしかし寄席のプログラムが漫才中心になり1936年頃から落語の本数もなくなり1938年頃には一切なくなり仕方なく桂花柳(後の3代目笑福亭枝鶴)と「軽口」を披露していた。また5代目笑福亭松鶴が主催する「楽語荘」同人に加わり、上方落語の保存・継承にも努めた。「神戸の春團治」、また色黒のため「黒の春輔」とも呼ばれた。
阿弥陀池』『坊主茶屋』『地震加藤』など、初代春團治譲りの明るい芸であったが、精緻さに欠ける欠点があったという。戦後暫く5代目松鶴とともに高座を勤めていたが、1948年秋、兵庫の「寄席のパレス」(国鉄の高架下にあった)に出演中、栄養失調で倒れ、川崎病院に入院後間10日程で胃癌で死去。SPレコードは『三円の虎』『節約デー』『糖に釘』『十七倉・香橙』『子ほめ』『芝居まくら』『色まくら』がある。
3代目桂米之助の話''「…いつもこんな事を言うてハりました。"なあ、お客さん、大阪の落語を聴くネンやったら今の内だっせ。楽屋に今、十人の噺家がいとりまっけどな、一年に一人ずつ死によったら十年たったらもう落語ないねんさかいに、聴くねんやったら今の内"と言うて自分が一番先に死にやハりました。(笑)」''(『上方落語よもやま草子』)
毒舌家で、高座では客や芸人仲間の悪口、世相風刺を語るのが得意であった。かなりの腕を持ちながらも、上方落語の低迷期に活躍したのが不運であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「桂春輔」の詳細全文を読む




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