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柴田翔 : ミニ英和和英辞書
柴田翔[しばた しょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しば]
 【名詞】 1. brushwood 2. firewood 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

柴田翔 : ウィキペディア日本語版
柴田翔[しばた しょう]
柴田 翔(しばた しょう、男性、1935年1月19日 - )は、日本小説家ドイツ文学者、東京大学名誉教授。
東京生まれ。私立武蔵高校卒業。東京大学大学院独文科を経て同大教授。1964年に当時の学生群像を描いた「されどわれらが日々―」で芥川賞を受賞した。
== 経歴 ==
東京府東京市足立区栗原町生まれ、板橋区出身。東京都板橋区常盤台に育つ。武蔵中学校・高等学校を経て東京大学に入学。工学部から文転して独文科を卒業し、1960年同大学院独文科修士課程修了、助手となる。同年同人誌『象』に発表した小説「ロクタル管の話」が『文學界』に転載され、芥川賞候補となる。1961年に修士論文を改稿した『親和力研究』でゲーテ賞を受賞、翌年ドイツ留学。
1964年『象』に発表した「されど われらが日々―」で第51回芥川賞を受賞。六全協に影響された学生群像を描いたこの青春小説は、累計186万部というベストセラーとなった。
以後も『贈る言葉』(1966年)、『鳥の影』(1971年)、『立ち盡す明日』(1971年)などを発表した。1966年に東京都立大学講師、1967年に助教授、1969年東京大学文学部助教授、のち教授、文学部長を務めた。
1970年から72年まで小田実高橋和巳真継伸彦開高健とともに同人誌『人間として』を筑摩書房から刊行。「ノンちゃんの冒険」を連載するが、高橋がほどなく没し雑誌は休刊になり、同作品は1975年に残りを書き下ろして刊行された。以後、ほとんど小説を書かなくなる。
ドイツ文学者としては、『ゲーテ「ファウスト」を読む』や『内面世界に映る歴史』、ゲーテの『ファウスト』の翻訳がある。
1995年東大を定年退官し名誉教授、共立女子大学文芸学部教授、2006年定年退任。1981年前後に文學界新人賞選考委員、1999 - 2007年太宰治賞選考委員。
妻は作曲家三宅榛名。娘の柴田暦は歌手・女優。
なお、「されど われらが日々」は学生運動を題材にした小説であるが、後の全共闘運動に対しては、次のように評している。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「柴田翔」の詳細全文を読む




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