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柴田大知 : ミニ英和和英辞書
柴田大知[しばた だいち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しば]
 【名詞】 1. brushwood 2. firewood 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

柴田大知 : ウィキペディア日本語版
柴田大知[しばた だいち]

柴田 大知(しばた だいち、1977年6月18日 - )は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の騎手双子の弟・柴田未崎もJRAの騎手〔。同期には福永祐一和田竜二らがおり、競馬学校花の12期生のひとりである。
== 来歴 ==
小学5年生の時、弟の未崎と共にJRA宇都宮育成牧場〔現・競走馬総合研究所。〕で乗馬を開始〔。当初から騎手という職業には惹かれていたが競馬そのものにさほどの関心はなく、ともに宇都宮育成牧場に所属していた4歳年上の小林淳一競馬学校に合格したことで、初めて競馬学校の存在を知ったほどだった〔コスモオオゾラ鞍上・柴田大、牡馬クラシック初挑戦…皐月賞:競馬:スポーツ報知 2012年4月10日閲覧〕。そして小林がJRA騎手としてデビューを果たしたのを契機に、自身も騎手になろうという決意を固める。また弟の未崎も同じ進路を歩むが2人して相談するでなく、自然と同じ志を抱くようになっていたという。
入学当初は成績が芳しくなかった大知であったが卒業時には上位2・3番目〔牧原由貴子福永祐一の2人が上位2名。〕にまで挽回する盛り返しを見せたものの、大知のいた12期生は後に「花の12期生」と称されるもデビュー当時は傑出した騎手候補生がなく、所属先の厩舎がなかなか決まらない者もいた。大知もまたその1人であったが、最終的に美浦の栗田博憲厩舎に決まり、1996年3月、未崎と揃って騎手デビューを果たす。
JRA史上初の双子騎手〔〔一方がJRA、もう一方が地方競馬所属の双子騎手としては、水野貴広水野貴史兄弟が、また両方が地方競馬の所属の双子騎手としては竹田吉孝竹田吉秀兄弟やかつて兵庫に在籍していた松本良平松本心平兄弟の例もあった。〕、さらに双子でふたご座ということも話題を集め、デビュー当時多くのマスコミから注目を集めたが、大知は「結果も出していないのに双子というだけで騒がれるのは嫌だった」とコメントを残している。
同期の福永がデビュー2連勝を飾る中「自分は自分」とマイペースで進め、3月31日に初勝利を記録〔。8月3日には双子ワンツーフィニッシュ(1着・未崎、2着・大知)を飾り、デビュー年は27勝を挙げ民放競馬記者クラブ賞を受賞した。
2年目の1997年6月29日ラジオたんぱ賞エアガッツで制して重賞初勝利。しかしこの重賞勝利の直後に、当時の師匠である栗田の反対を押し切って競馬新聞記者との結婚を強行し、これが原因で栗田厩舎から解雇処分(破門)されてしまいフリーの騎手となった。この事件を境に騎乗数が減り始め、次第に勝てなくなり、周囲からは調教助手への転進を進める声も出るほどだった〔【皐月賞】2日連続G1制覇も…柴田大、オオゾラはばたく - スポニチ Sponichi Annex 競馬 2012年4月14日閲覧〕。
2003年以降は、勝利数がひと桁台にまで落ち込む。2005年12月10日、騎乗数確保のため障害競走に初騎乗〔。以後、平地競走・障害競走の双方で騎乗するようになる。2010年7月10日、ディアディアーで福島ジャンプステークスを勝ち、障害オープン特別競走初勝利、並びに前述のラジオたんぱ賞以来となるオープン競走勝利を挙げた。
平地競走では2006年から2008年まで平地競走勝ち鞍ゼロと大苦戦するが、2008年8月3日新潟競馬第11競走の北陸ステークスでダイイチミラクルに騎乗して2着に入り、それを機にミルファームの所有馬に騎乗するようになる。そしてミルファーム代表の清水敏が以前ビッグレッドファームに勤務していたことで、その縁は岡田繁幸にまで広がり、マイネル軍団の馬にも騎乗するようになった〔ベストセラーズ競馬最強の法則」2012年3月号 p.63-68〕。
2011年6月11日マジェスティバイオ東京ジャンプステークスを勝ち、障害重賞初勝利、14年ぶりの重賞勝利を果たす。7月2日マイネルネオス中山グランドジャンプを勝ち、GI(J・GI)初制覇。勝利騎手インタビューでは「騎手を辞めなくてよかったです」と語り、涙を流す一面もあった。この勝利を機にマイネル軍団からの騎乗依頼はさらに増え、2006年に52回まで落ち込んだ騎乗回数が、この年はデビュー以来最多となる493回に伸びた〔【東京新聞杯】ラクリマ“代打”で軽快12秒6 - スポニチ Sponichi Annex 競馬 2012年2月3日閲覧〕。
2012年3月4日コスモオオゾラ弥生賞を勝ち、5362日ぶりの平地重賞勝利を収めた。これはグレード制導入(1984年)以降、最長間隔での勝利となった〔コスモオオゾラ大駆け!柴田大、平地重賞5362日ぶりV…報知杯弥生賞 2012年3月5日閲覧〕。またその騎乗ぶりを岡田は「好位にとりついて、なだめるのがうまい」と称賛した〔コスモオオゾラ快走に“総帥”岡田氏「はじけたね」…報知杯弥生賞 2012年3月5日閲覧〕。4月14日、マジェスティバイオで中山グランドジャンプを勝ち、同競走連覇を達成した。
2013年5月5日マイネルホウオウNHKマイルカップに勝ち、自身200勝目を平地GI初勝利で飾った。1984年のグレード制導入以後、平地・障害両方のGIを制した騎手は他に熊沢重文がいる〔。年間騎乗数も858回となり過去最高となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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