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松山重治 : ミニ英和和英辞書
松山重治[まつやま しげはる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

松山重治 : ウィキペディア日本語版
松山重治[まつやま しげはる]
松山 重治(まつやま しげはる、生没年不詳)は、戦国時代摂津国武将。通称は、新介、新太郎。
== 生涯 ==
松山新介(重治)はの人であり、始め本願寺の番士だったが、その後、松永久秀及び三好長慶に仕えた。松山新介は弁舌爽やかであり、更に小皷、尺八、早歌等の芸能も巧みであって座興を盛り上げたため、「堺の名物男」としてもてはやされたと伝わる〔『堺鑑』(仕官の項)〕。
永禄4年(1561年)11月の将軍地蔵山の戦いでは、松山新介の家臣であり「鎗中村」と称された中村新兵衛高続が、六角義賢の家臣・永原安芸守を討ち取っており〔『常山紀談』〕、永禄5年(1562年)5月の教興寺の戦いでは安宅冬康を補佐し、畠山高政の率いる根来寺衆と戦い勝利している。三好家では約五千石を与えられて二千人の兵を率いており〔『太閤記』〕、松永久秀鳥養貞長野間長久野間康久と共に三好政権を代表する家臣の一人であった〔天野・152-153頁〕。
三好家の没落後は織田信長に仕え、天正10年(1582年)1月の高野山攻めに参加している〔『紀伊続風土記』〕。この時、伊都郡内に多和城を築いた〔『二見文書』〕。その後の消息は不明である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松山重治」の詳細全文を読む




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