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松山英太郎 : ミニ英和和英辞書
松山英太郎[まつやま ひでたろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

松山英太郎 : ウィキペディア日本語版
松山英太郎[まつやま ひでたろう]

松山 英太郎(まつやま えいたろう、1942年7月9日 - 1991年1月11日)は、日本俳優。本名同じ(読みは「まつやま ひでたろう」)。
==人物==
東京都武蔵野市吉祥寺に、前進座女形だった5代目河原崎國太郎(本名松山太郎)の長男として生まれる。祖父は画家の松山省三。祖母の英子と父の太郎から1文字ずつ取って、英太郎(ひでたろう)と名づけられた。1947年、5歳で前進座の『弁天小僧』で初舞台を踏む。その後中学校を卒業するまでに、『ひろしま』など数本の映画に出演する。弟は俳優松山政路。甥は歌舞伎俳優の7代目嵐芳三郎6代目河原崎國太郎。姪は女優の松山愛佳。長女は女優の由夏、長男は俳優の芦田昌太郎
1960年大成高等学校を中退し俳優座養成所に12期生として入る。同期に中村敦夫加藤剛成田三樹夫樫山文枝などがいた。
1963年に卒業。翌1964年TBSの人気ドラマ、『七人の孫』に出演し、一躍人気者となる。以降、『肝っ玉かあさん』、『時間ですよ』などホームドラマには欠かせぬ顔として大活躍する。ひょうひょうとした外見ながらも下品さやくどさがなく、むしろ上品ささえ感じられた役作り(時代劇・現代劇共通)ができた俳優だった。
また、1960年代後半の若者向け朝のテレビ番組『ヤング720』(TBS)では、由美かおると組んで初代司会者として2年間担当していたこともある。
1977年、プロデューサーに転身を図るが、翌1978年、俳優に復帰。TBSの月曜20時からの時代劇枠『ナショナル劇場』では、『大岡越前』第2部で初出演して以来、生前最後の放送となった同作第11部までの間、『水戸黄門』以外のすべての作品にレギュラー出演した。この中には『江戸を斬る』の第7部まで、および『翔んでる!平賀源内』も含まれる。唯一出演がなかったのは、後述の通り『大岡越前』第5部のみである。
なかでも、『大岡越前』の猿の三次、『江戸を斬る』(西郷輝彦)主演の第2~6部)の鼠小僧・次郎吉、第1部の『梓右近隠密帖』の葵小僧など、主人公をサポートする密偵役には、定評があり、はまり役であった。『江戸を斬る』第7部でのみ、密偵役は他に譲り、同心役を演じていた。なお、『水戸黄門』にもしばしばゲスト出演しており、同第18部では、『大岡越前』で組んでいた森マリアとともに、忍び役で出演した。
また、森繁久彌主演の『おやじのヒゲ』シリーズにも出演し、森繁と息の合ったところを見せた。私生活では芦田伸介の一人娘、亜子と結婚・離婚を経験。芸能関係者を中心に浮名が絶えなかったが、その後1991年に他界までは独身だった。
1991年1月11日、食道癌のため48歳の若さで死去。入院からわずか4ヵ月後の出来事で〔亡くなる前年の1990年には『大岡越前』の第11部に出演していた。〕、その突然の死は時代劇ファンや芸能関係者を驚嘆させた。特に親友の竹脇無我はこれがもとでうつ病を患う一因となったとされる。また、英太郎を息子のようにかわいがっていた森繁は号泣し、その死を惜しんだ。闘病中の病室でファンに向けて録音したテープがマスコミに公開されその後、母・重子が『ごめんね、英ちゃん - 食道癌で死んだわが子・松山英太郎追想』という本を出版した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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