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東浦自動車 : ミニ英和和英辞書
東浦自動車[ひがしうら]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [うら]
 【名詞】 1. inlet 
自動 : [じどう]
  1. (adj-na,n) automatic 2. self-motion 
自動車 : [じどうしゃ]
 【名詞】 1. automobile 
: [どう]
 【名詞】 1. motion 2. change 3. confusion 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

東浦自動車 ( リダイレクト:西武バス ) : ウィキペディア日本語版
西武バス[せいぶばす]

西武バス株式会社(せいぶバス、英称:''Seibu Bus Co., Ltd.'' )は、東京都北西部から埼玉県南西部にかけての地域を主な営業エリアとし、乗合バス・貸切バスを運行している西武グループの大手バス事業者である。本社を埼玉県所沢市に置く。子会社として、西武観光バス西武高原バス西武総合企画西武ハイヤーがある。
埼玉県より、国民保護法に基づく指定地方公共機関に指定されている。
== 沿革 ==

=== 東浦自動車の設立と事業統合 ===
西武バスの母体は、1932年12月19日、浦和(現在のさいたま市)に設立された東浦自動車株式会社である。東浦自動車は、1941年12月より現在の西武池袋線系統の前身である武蔵野鉄道の傘下に入っていたが、戦中までは社名の通り浦和の東部を中心に、鳩ヶ谷から川越、途中の東大久保(富士見市)から所沢まで路線を有していた会社であった。現在の西武バスが埼玉県南西部から東京北西部の広範囲に路線を有するのは、終戦後成立した西武農業鉄道の直営バス部門をこの会社が譲受したことによるものである。
西武農業鉄道は、現在の西武鉄道1946年11月改称)であるが、これは1945年9月武蔵野鉄道西武新宿線系統の前身である旧・西武鉄道を合併して成立した会社である。
武蔵野鉄道は、昭和の初期より青梅・飯能周辺においてバスを開業し、終戦時までに現在の西武池袋線沿線を中心とする地域に広大な路線網を形成していた。この中には、1940年に合併した多摩湖鉄道より継承した路線、秩父自動車の合併により継承した秩父地区の路線が含まれる。このうち、多摩湖鉄道は、小平・国分寺・東村山周辺でバス営業を開始したのち、親会社の箱根土地(現・プリンスホテル)のもとで周辺バス事業者の積極的な買収を行い、青梅岩蔵温泉・八王子・川越などにも路線を広げていた。合併時において、その営業成績は大変良好であったといわれる。
一方、旧・西武鉄道は、東京では鉄道の西武村山線(現・新宿線)に並行する関以西の青梅街道上や西武川越線(現・国分寺線)に並行する国分寺 - 東村山間を昭和初期に開業し、立川・田無・武蔵境など周辺地域に路線を拡張していった。また、埼玉県内でも大宮・川越・仏子・所沢などに路線を有していた。
これら前身事業者によって形づくられた西武農業鉄道のバスを譲受するのに先駆けて、東浦自動車は1946年3月、増資のうえ武蔵野自動車株式会社に商号変更し、同年6月にこれを譲受した。そして翌1947年11月、西武自動車株式会社に社名を改め、新たなスタートを切った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西武バス」の詳細全文を読む




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