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東冨士謹一 : ミニ英和和英辞書
東冨士謹一[ひがし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [いち]
  1. (num) one 

東冨士謹一 ( リダイレクト:東富士欽壹 ) : ウィキペディア日本語版
東富士欽壹[あずまふじ きんいち]

東富士 欽壹(あずまふじ きんいち、1921年10月28日 - 1973年7月31日)は、東京市下谷区(現・東京都台東区)出身の元大相撲力士・第40代横綱・元プロレスラー・実業家。本名は井上 謹一(いのうえ きんいち)。
== 来歴 ==

=== 初土俵〜三役 ===
子供時代から巨躯・怪力で、大人に交じって家業の鉄工所を手伝っていたことから“下谷に怪童あり”と評判になる。その評判を聞きつけた富士ヶ根が勧誘して入門させ、1936年1月場所に初土俵を踏む。しかし、緊張から鍛え上げられた力を発揮できずに前相撲を通過して番付に載るまで2年を要したが、幕下時代から双葉山定次に目をかけられ、「キン坊、来い」と呼ばれては猛稽古で鍛えられた。
双葉山定次の猛稽古によって順調に力を付け、1942年1月場所で新十両昇進。1943年1月場所では十両東2枚目の地位で14勝1敗の十両優勝を果たすと、同年5月場所で新入幕を果たす。十両上位で14勝の好成績を残したことで新入幕の場所は東前頭8枚目に位置づけられ、いきなり横綱・三役陣と総当りさせられたが〔当時は東西制で、15日制なら平幕10枚目前後までが横綱との対戦圏内だった。〕、照國萬藏安藝ノ海節男の2横綱には敗れたものの、2関脇・1小結を倒して10勝5敗〔同場所の番付では西方に大関不在(照國が横綱大関だった)。〕の好成績を残した。前頭筆頭で迎えた1944年1月場所7日目には、かつて胸を借りた双葉山の横綱土俵入りで露払いを務めた(太刀持ち前田山英五郎)。
その後も1場所途中休場による負け越しがあったもののすぐ幕内上位に定着し、新関脇での1944年11月場所では東西の編成替えで初めて双葉山と敵方になり、同場所6日目にその双葉山定次を上手投げで破って恩を返した。この取組が、結果的に双葉山が土俵に上がっての最後の敗戦にもなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東富士欽壹」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Azumafuji Kin'ichi 」があります。




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