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東京コカ・コーラボトリング : ミニ英和和英辞書
東京コカ・コーラボトリング[とうきょうこか こーらぼとりんぐ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東京 : [とうきょう]
 【名詞】 1. Tokyo (current capital of Japan) 
: [みやこ, きょう, けい]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラボ : [らぼ]
 【名詞】 1. (abbr) laboratory 2. language laboratory 3. (P), (n) (abbr) laboratory/language laboratory

東京コカ・コーラボトリング : ウィキペディア日本語版
東京コカ・コーラボトリング[とうきょうこか こーらぼとりんぐ]

東京コカ・コーラボトリング株式会社(とうきょうコカ・コーラボトリング、英語表記 Tokyo Coca-Cola Bottling)は、かつて存在した東京都を販売拠点とする日本コカ・コーラのボトラー。略称はTCCB。コカ・コーライーストジャパン株式会社の完全子会社であった。本社は東京都港区のイースト社内に同居していた。

== 沿革 ==

*1956年(昭和31年)11月 - 高梨仁三郎により、東京飲料株式会社設立。
*1957年(昭和32年)3月 - コカ・コーラ本社から芝浦工場(現本社)の設備を継承し、コカ・コーラの製造販売を開始。
*1958年(昭和33年)4月 - ファンタオレンジ、グレープ、クラブソーダ発売。
*1962年(昭和37年)4月 - 東京コカ・コーラボトリング株式会社に社名変更。
*1963年(昭和38年)5月 - 多摩工場竣工。1号びん詰ライン製造開始。
*1964年(昭和39年)12月 - 他ボトラーよりの仕入れでコカ・コーラホームサイズ発売。
*1965年(昭和40年)11月 - コカ・コーラ250ml缶発売。
*1966年(昭和41年)2月 - 芝浦工場にホームサイズ専用ラインを設置し自社生産開始。
*1967年(昭和42年)7月 - 稲城工場竣工。1号びん詰ライン製造開始。
*1970年(昭和45年)4月 - 多摩工場隣接地に多摩第二工場竣工。翌月より4号びん詰ライン製造開始。
*1971年(昭和46年)5月 - 多摩第一工場で缶詰ライン製造開始。
*1973年(昭和48年)5月 - ドクターペッパー社とライセンス契約を締結し、利根・沖縄ボトラーと共にドクターペッパーの製造販売を開始。日本コカ・コーラはこの動きに不満を示し、類似商品のミスター・ピブを全国のボトラーに導入させるが売り上げが芳しくなり失敗に終わる。その後二十数年を経てドクターペッパーは日本コカ・コーラの一ブランドとなった。
*1974年(昭和49年)6月 - 本社新社屋竣工。
*1974年(昭和49年)10月 - 芝浦工場にてプレミックス、ポストミックス製造開始。
*1976年(昭和51年)9月 - ペプシ300に対抗して、リターナブルびんのコカ・コーラ300mlびん発売。
*1977年(昭和52年)3月 - 稲城工場9号ラインでコカ・コーラ1リットルサイズ製造開始。同月発売。
*1979年(昭和54年)2月 - 他ボトラーと歩調をあわせ、自社ブランドのトレッカコーヒーの販売を中止しジョージアコーヒー発売。
*1982年(昭和57年)2月 - 稲城工場10号ラインでコカ・コーラ1.5リットルサイズ製造開始。翌月発売。
*1982年(昭和57年)3月 - 多摩工場1号ラインでジョージアコーヒーの受託生産を開始。
*1983年(昭和58年)10月 - 稲城工場でコカ・コーラ1.5リットルPETボトル製造開始。翌月発売。
*1984年(昭和59年)1月 - 芝浦工場閉鎖。
*1986年(昭和61年)5月 - 稲城工場で無炭酸飲料(アクエリアス、HI-Cサンフィル等)1.5リットルPETボトル製造開始。
*1991年(平成3年)6月 - 東京カナダドライをカルピス(当時の社名:カルピス食品工業)へ譲渡。
*1991年(平成3年)6月 - 多摩工場で各種缶製品の製造が可能な新5号ラインが稼働開始。
*1991年(平成3年)12月 - 社名を株式会社丸仁に変更するとともに、清涼飲料水の製造・販売部門を分離専業化、新しい東京コカ・コーラボトリング株式会社として再発足。
*1998年(平成10年)8月 - 稲城工場にPETボトル無菌充填ラインを導入。
*2001年(平成13年)10月 - 関東3ボトラー(東京・三国・利根)による共同製造会社コカ・コーライーストジャパンプロダクツを設立。
*2002年(平成14年)4月 - 販売機器サービス部門を別社化して機材サービス新会社マシン・メンテナンス・ネットワーク株式会社を設立。
*2003年(平成15年) - コカ・コーラナショナルビバレッジ社事業開始。
*2005年(平成17年)3月 - 稲城工場閉鎖。
*2007年(平成19年)6月 - 第三者割当増資を実施、日本コカ・コーラがこれを引き受け総株数の34%を出資。
*2009年(平成21年)5月 - 丸仁ホールディングスとの資本関係を解消。それに伴い、不動産事業を開始。
*2013年(平成25年)7月1日 - コカ・コーライーストジャパン株式会社を持株会社として、当社とコカ・コーラ セントラル ジャパン三国コカ・コーラボトリング利根コカ・コーラボトリングの4社が株式交換会社分割により経営統合コカ・コーラ セントラル ジャパン株式会社、三国コカ・コーラボトリング株式会社、東京コカ・コーラボトリング株式会社と利根コカ・コーラボトリング株式会社の4社経営統合に関する統合契約および株式交換契約の締結、ならびにコカ・コーラ セントラル ジャパン株式会社の会社分割および商号変更等についてのお知らせ 〕。当社はコカ・コーライーストジャパン株式会社の完全子会社となる。
*2015年(平成27年)1月1日 - 持株会社であったコカ・コーライーストジャパンが、コカ・コーラ セントラル ジャパン(2代目)、三国コカ・コーラボトリング、東京コカ・コーラボトリング、利根コカ・コーラボトリングの4社を吸収合併し、事業会社化。当社は消滅した〔連結子会社の吸収合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東京コカ・コーラボトリング」の詳細全文を読む




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