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村井米子 : ミニ英和和英辞書
村井米子[むらい よねこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [こめ]
 【名詞】 1. uncooked rice 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

村井米子 : ウィキペディア日本語版
村井米子[むらい よねこ]

村井 米子(むらい よねこ、本名:黒田 米子、1901年11月23日 - 1986年12月19日)は、日本の大正 - 昭和時代の女性登山家随筆家神奈川県出身。東京女子大学卒。
村井弦斎の長女で、『食道楽』、『釣道楽』などに解説を執筆している。また16歳で富士山に初登頂し、その後、登山家として全国の山々を歩き、マタギの人々とも交わり、彼らの食文化について執筆している。富士山、北アルプスなどにしたしみ、日本の女性登山家の草分けとなる。1923年(大正12年)、黒田鎮夫と結婚。1926年、日本自然保護協会の設立に参加した。
1934年(昭和9年)にNHK入社。同年から1943年まで教養部のディレクターとして家庭番組の企画、制作を担当。割烹着の発明者〔割烹着の発案者としては、女子栄養大学の香川綾羽仁もと子などを挙げる人もあるが、一番古いものは村井弦斎が、明治39年1月号の月刊『食道楽』創刊号で、妻多嘉子の手助けで考えたと断って「音羽嬢式台所上衣」として発表されたもの。「此服は加藤病院の手術服の仕立方を同夫人より聞き、村井夫人が応用せられたる物也」とある。西洋のメイドエプロンや手術着から発送したものだという。音羽嬢は、『食道楽』のヒロイン、お登和さんのこと。この上衣は全身を包むようなタイプである。当時、明治14年に赤堀料理教場が開校していて、生徒が着物を汚さないように割烹着を着せて実習をしていたというので、時系列では赤堀峰吉の方が早かったということになるのではないだろうか。それぞれが考案した割烹着のデザインなども比較検討して見る余地があるかもしれない。米子は、父の後を受けて台所の工夫について多数の執筆があるので、このように言われてきたものであろう。〕で、家庭料理や台所での工夫について著作多数。
1986年12月19日死去。85歳。著作に『山の明け暮れ』など。没後、米子宅に保存されていた村井弦斎資料3,530点は、神奈川近代文学館に寄贈された。
== 著書 ==

*『雪: 女性とスキー』南光社 1933年(黒田米子名義)
*『雪山のあけくれ』昭和書房 1948年
*『旅心旅情』明玄書房 1955年
*『山恋の記』河出書房 1956年
*『薬になる食べものその薬効と食事法』創元社 1961年
*『山岳の驚異』偕成社 1963年
*『山に入る日』日本山岳名著全集 第8巻 あかね書房 1962年 - 深田久弥、石川欽一らの文章とともに、村井米子の『山の明け暮れ』が収められている。
*『台所に役立つ山菜100種』新人物往来社 1975年
*『山愛の記』読売新聞社 1976年
*『台所重宝記』新人物往来社 1977年(父、村井弦斎と共著)
*『マタギ食伝』春秋社 1984年

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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