翻訳と辞書
Words near each other
・ 李コウ
・ 李コウ (中華民国)
・ 李コウ (唐の文人)
・ 李コウ (西涼)
・ 李コノミクス
・ 李コン
・ 李サビク
・ 李サン
・ 李サン (曖昧さ回避)
・ 李ショウ
李シン
・ 李シ菁
・ 李ジュン鎔
・ 李スンヨプ
・ 李セン
・ 李ソウ
・ 李チョウ
・ 李テイ
・ 李テツ
・ 李テツ (囲碁棋士)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

李シン : ミニ英和和英辞書
李シン[り しん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 

李シン : ウィキペディア日本語版
李シン[り しん]

李 燊(り しん)は中華民国の軍人。貴州軍(黔軍)の指揮官。曉炎。祖籍は湖南省邵陽県
== 事跡 ==

=== 黔軍での台頭 ===
幼年時代は私塾で学習したが、1908年光緒33年)に貴州陸軍小学第4期生となる。しかし、病のため卒業できず、帰郷して故郷で小学の教師となった。
中華民国成立後、李燊は貴陽に赴いて黔軍に加入した。このときに袁祖銘と親交を結び、以後、李は袁の下で貴州省四川省を転戦した。後に、黔軍第1混成旅旅長、第5師師長と昇進する〔以下、李燊の職歴については、資料により諸説ある。本記事は于翔麟「李燊」に主に拠った。〕。
1925年民国15年)、黔軍第1師師長王天培が、北京政府中央軍の暫編第9師師長に昇格したため、李燊が後任の黔軍第1師師長となる。翌年7月、黔軍は国民政府側についた。黔軍の彭漢章と王天培はそれぞれ国民革命軍第9軍軍長・第10軍軍長に任ぜられ、10月には袁祖銘が国民革命軍第12軍軍長兼左翼軍前敵総指揮となった。11月、李も国民革命軍暫編第7軍軍長に任ぜられ、まもなく袁配下の第1路総指揮となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「李シン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.