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昌安見久尼 : ウィキペディア日本語版
昌安見久尼[しょうあんけんきゅうに]
昌安見久尼(しょうあんけんきゅうに、天文7年(1538年) - 天正13年(1585年))は、戦国時代の女性。名は阿久(あく)であり、昌安見久尼は戒名。
== 人物 ==
浅井久政の長女であるが、庶子のため祖父・浅井亮政養女となった。生母は浅井亮政の侍女と伝わるが定かではない。兄弟姉妹に浅井長政京極マリアら多数。
母とともに実宰院(当時は実西庵)に移り住み、母の死後庵主となる。寺伝によれば、彼女は身長5尺8寸(176cm)・体重28貫(105kg)の大女であったため、嫁入りをあきらめて天文11年(1542年)に出家し、小谷城の南4kmの平塚村に庵を建てて移住し、実西庵の開基者となったとされる。しかし、阿久が実際に出家したのは幼少期とされ、出家の理由としては疑わしいが、成長した彼女が長身であったことからの言い伝えかもしれない。
豊臣秀吉によって実西庵に庵料として50石の田畑を与えられ、三霊殿を創営して浅井三代を祀ったという。江戸時代に入っても秀吉の与えた50石は徳川秀忠の御朱印状で認められている。
実宰院に伝わる位牌によれば、天正13年(1585)に没している。実宰院本堂には江戸時代中期に作られた昌安見久尼の木造が安置されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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