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昌キ : ウィキペディア日本語版
昌キ[しょう き]

(しょう き、? - 206年)は、中国後漢時代末期の武将。徐州東海郡の人。別名に「昌覇」もある。

== 正史の事跡 ==

諸葛亮建興5年(226年)11月の上奏文によれば、曹操が5度攻撃して下すことが出来なかったとされる、東海の独立勢力指導者である。
当初は泰山方面で活動する臧覇孫観呉敦尹礼と共に、呂布の同盟者であった。なお、『三国志』魏書武帝紀は昌を泰山の将としている。建安3年(198年)12月に呂布が曹操に滅ぼされると、臧覇らと共にいったん曹操に降伏し、青州・徐州の一部を委ねられる厚遇を受けた。
しかし建安5年(200年)、劉備が曹操に敗北して袁紹の下へ逃れた後に、劉備に呼応して東海で曹操に反逆した。これを曹操の部将の張遼夏侯淵は数か月に渡って攻撃したが撃破出来なかった。それでも張遼は巧みに昌豨を説得し、降伏させることに成功する。
曹操が冀州を平定した後の建安6年(206年)、昌はまたしても曹操に反逆し、今度は曹操の部将于禁・臧覇らの討伐を受ける。于禁は当初苦戦したが、夏侯淵の支援を受けて何とか昌を降伏させた。于禁は昌と旧友だったが、「法によれば、包囲されて後に降伏した者は赦されない」として、涙ながらに昌を処刑した。曹操はこれを聞いて、于禁をいっそう重んじた。ただし『三国志』注釈者の裴松之は、囚人として曹操の下に護送し、万一の大赦を期待すべきだったと、于禁の行為を非難している。 

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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