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早稲田大学文学部 : ミニ英和和英辞書
早稲田大学文学部[わせだだいがくぶんがくぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はや]
 【名詞】 1. already 2. now 3. by this time 
早稲 : [わせ]
 【名詞】 1. early ripening rice 
: [いね]
 【名詞】 1. rice-plant 
稲田 : [いなだ]
 【名詞】 1. paddy field 2. rice field 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
大学 : [だいがく]
 【名詞】 1. (1) university 2. (2) the Great Learning - one of the Four Books 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
文学 : [ぶんがく]
 【名詞】 1. literature 
文学部 : [ぶんがくぶ]
 (n) department (faculty) of literature
学部 : [がくぶ]
 【名詞】 1. department of a university 2. undergraduate 

早稲田大学文学部 : ウィキペディア日本語版
早稲田大学文学部[わせだだいがくぶんがくぶ]
早稲田大学文学部(わせだだいがくぶんがくぶ、英語:School of Humanities and Social sciences)とは、早稲田大学学部の一つである。
== 概要 ==
文学部は、早稲田大学における人文学系の学部の一つで、2007年(平成19年)に学部再編により設置された。現在は戸山キャンパス東京都新宿区戸山1-24-1、通称「文キャン」)に置かれ、早稲田大学文学学術院の管理・運営下にある。
大隈重信により1882年(明治15年)に創立された東京専門学校に文学科が創設されたのは、1890年(明治23年)坪内逍遙らによってである。1891年(明治24年)、坪内は『早稲田文学』を創刊。1902年 (明治35年)には、翌年の専門学校令の発令に先立ち、その特例として大学と称することが認められて「早稲田大学」に改称し、文学科は大学部に設置され、1904年(明治37年)に専門学校令による大学となる。1920年(大正9年)には新大学令による大学となり、文学部が設置された。1928年(昭和3年)に演劇博物館開館。学制改革に伴う1949年(昭和24年)4月1日の新制早稲田大学発足によって、第一政治経済学部、第一法学部、第一商学部等と共に専業学生が大半を占める昼間開講の第一学部として第一文学部が、社会科学系第二学部の第二政治経済学部、第二法学部、第二商学部、理工学系第二学部の第二理工学部等と共に人文科学系第二学部の第二文学部がそれぞれ設置される。1962年(昭和37年)に戸山ヶ原の高等学院跡の戸山町キャンパスに村野藤吾による新校舎が竣工して両学部は8号館から移転。第二理工が1968年(昭和43年)に廃止となり、第二政経・第二法・第二商は募集停止の後に1966年(昭和41年)設置の社会科学部(当時は夜学、2009年(平成21年)より昼間学部に移行)に発展解消する形で1973年(昭和48年)に廃止されたが、第二文学部だけは人文科学系の第二学部を希望する学生の受け皿として存続することとなったため、第一文学部、第二文学部は残った。1992年(平成4年)には、キャンパス内に戸山図書館が開館した。2004年(平成16年)9月に、早稲田大学がそれ以前は独立した機関として位置付けられていた学部・研究科・研究所を、系統ごとに一体化することを目的に新しい教員組織として「学術院」を設置したのに伴い、文学学術院が発足した。そして、時代の変化による勤労学生の減少や、文科省令で外国人学生の夜学通学者は在留資格が得られないなど第二学部には制約も多かったため、2007年4月に文学学術院の学部改編が行われた。第一文学部と第二文学部を併せて改組する形で再編し、4月からは新たに人文系の後継学部となる「文化構想学部」および新「文学部」の両学部が発足した。2006年(平成18年)度入学試験を最後に第一文学部、第二文学部ともに学生募集を停止し、翌年以降は文化構想学部と文学部へと改編された形での募集が行われている。
文学部では、入学後1年間は基礎教育を受け、2年目からは専門課程へと進級するという1・3制の課程をとる。専門課程としては従来の学問分野に従って17のコースが設置されている。これは学部の理念として「人間・世界を深く探り、言語・文学・表現の本質を解明し、人間・社会を歴史的に究明する」ことと、「豊かな学問的蓄積を受け止めて、新しい時代のなかで発展させるとともに、伝統的な学問体系をより洗練して確固たる学問として確立する」ことを掲げており、伝統的な人文学・文化学の継承と発展を目指しているためである。なお、文化構想学部は、人文学・文化学の学際的・学横断的な研究・教育実践を目指しているので、人文学・文化学のさまざまな分野をクロスオーバーさせた6の「論系」が設置されている。両学部で履修可能なブリッジ科目が多く開講されているため、文学学術院内の科目は興味に応じてお互い弾力的に履修できる。改変前の第一文学部の専修の多くを文学部のコースが引き継いでいる(一部は文化構想学部の論系が引き継いでいる)ため、文学部が第一文学部を引き継いでいるとする暗黙の了解はあるが、第一文学部および第二文学部を併せて改組する形で新たに文化構想学部および文学部の両学部を設置したのであり、どちらかがどちらかの後身というわけではない。なお、第一文学部総合人文学科設立以前は、哲学科(哲学専修、東洋哲学専修、心理学専修、社会学専修、教育学専修、人文専修)、文学科(日本文学専修、中国文学専修、英文学専修、フランス文学専修、ドイツ文学専修、ロシア文学専修、演劇映像専修、文芸専修)、史学科(日本史学専修、東洋史学専修、西洋史学専修、美術史学専修、考古学専修)の、いわゆる哲・史・文の3学科体制であったが、学科の形骸化と専修を越えた研究・教育の必要性を理由に、2002年に総合人文学科の1学科へと統合された。学部再編後も1学部1学科である。大学院文学研究科も、2007年(平成19年)人文科学専攻の一専攻に改編された。学部卒業時に授与される学位は、「学士(文学)」(B.A. in Literature)である(文化構想学部も同じ)。第一文学部自治会、第二文学部自治会ともに革マル派の拠点であったが、川口大三郎君事件に関連して大学当局の公認を取り消され、現在では文学学術院には大学に公認されている学生自治組織はない。文学学術院には、学生の考案による、坪内逍遥と知恵の象徴フクロウをモデルにしたショウホー博士と、文化構想学部に由来するブンコアラとマスコットキャラクターが存在する。33号館の改築は2013年に高層棟が、2014年には低層棟が竣工して、国連ビルが再び姿を現した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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