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日産・サニー : ミニ英和和英辞書
日産・サニー[にっさんさにー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
日産 : [にっさん]
 【名詞】 1. daily output 
: [うぶ]
  1. (adj-no) innocent 2. naive 3. unsophisticated 4. inexperienced 5. green 6. wet behind the ears
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

日産・サニー : ウィキペディア日本語版
日産・サニー[にっさんさにー]

サニー(''SUNNY'' )は、日産自動車1966年から2004年まで製造・販売していた自動車大衆車)。本項目ではサニーシリーズの基本型となるセダンを中心に記述する。
また、この項目では以下のモデルについても便宜上記述する。
*サニークーペ(4代目まで、ただし6代目はサニーRZ-1名義)
*サニーバン(4代目まで、ただし5代目はサニーADバン名義)
*サニーエクセレント(2代目、および3代目のみ)
*以下、ハッチバック系。
 *サニーハッチバック(5代目のみ)
 *サニー303/305/306(6代目のみ)
なお、2010年より中国を皮切りに発売されている新型サニー(日本名・ラティオ(2代目)、米国名・ヴァーサセダン(2代目)、タイ国名・アルメーラ)は、マーチなどと同じVプラットフォームを使用した、主に新興国向けの海外専売4ドアセダンである。
仕向地によって名称が異なるが、型式がB17であることからB15以前からのサニーの正式な後継車と言える(B15以前の時代も仕向地によって名称が異なっていた点は変わりない)
車名の由来は「太陽光」や「晴れた天候」を表す英単語「Sunny」より。
== 概要 ==
1960年代初頭、日産自動車では「ダットサン・110/210型系」の堅調な人気を反映し、その後継となる1,000cc - 1,200cc級の小型乗用車、初代「ブルーバード」310型系が大成功を収め、続く2代目モデルの410型系はスタイリングが市場の不評を買ったものの、小型車市場での地歩を確実に固めつつあった。しかし、410型系ブルーバードが1,200cc以上を主力とするモデルに移行したため、日産には、それより若干小型で700cc - 1,000cc級のベーシックカーが空位となった。
当時最大のライバルであったトヨタ自動車は、700cc級の「パブリカ」をエントリーモデルとして市場に送り出し、一定の成果を収めつつあり、その他の中堅メーカー各社も、700cc - 1,000cc級の小型車で市場参入を進めていた。日産社内ではこれを危惧し、ダットサンの小型モデルを開発しようとする動きがあったが、当時の日産自動車社長であった川又克二〔旧日本興業銀行出身。長く社長・会長を務め、日産自動車中興の祖と言われた。〕は、ブルーバードと同志討ちになりかねないエントリーモデルの開発には当初消極的で、「お金のない方はブルーバードの中古をお買いになればよろしい」と評する始末であった。開発陣は商用車開発などの名目で川又社長を説き伏せ、ようやく小型ベーシックカーの開発にこぎ着けた。サニーが大成功したことで、川又も部下たちに対し「(サニーの開発を)やっておいて良かったな」と反省の弁を残している。
サニーは日産の最小排気量クラスを担う主力車種として、高度経済成長期からバブル経済期までのベストセラーカーとなった。日本の大衆車の中でもトヨタ・カローラと双璧をなす存在で、その最盛期には「CS戦争」ともいわれる、販売台数の熾烈な争いを繰り広げたことで知られる。
ボディタイプは2ドアセダンからスタートし、4ドアセダン、2ドアクーペピックアップトラック、2ドアライトバン、3ドアクーペ、4ドアライトバン、ステーションワゴンカリフォルニア)、3ドアハッチバックなどのバリエーションが存在した。
競合車種のカローラ同様に実用性と経済性、信頼性、安心感に優れた大衆車として市場の地位を長い間保っていたが1990年代中期以降、日産車全体のシェア低迷と小型セダン離れ、そして度重なるユーザー層の高年齢化などから、市場での存在感も次第に希薄となり、2004年を以って日本国内での当ブランドの消滅を迎えた。以後そのポジションはティーダラティオ(後にラティオと改称)が担う事となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日産・サニー」の詳細全文を読む




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