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日常言語学派 : ミニ英和和英辞書
日常言語学派[にちじょうげんごがくは]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
: [とわ, じょう]
  1. (adj-na,n) eternity 2. perpetuity 3. immortality
: [げん]
 【名詞】 1. word 2. remark 3. statement 
言語学 : [げんごがく]
 (n) linguistics
: [ご]
  1. (n,n-suf) language 2. word 
語学 : [ごがく]
 【名詞】 1. language study 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
学派 : [がくは]
 【名詞】 1. school 2. sect
: [は]
  1. (n,n-suf) clique 2. faction 3. school 

日常言語学派 : ウィキペディア日本語版
日常言語学派[にちじょうげんごがくは]
日常言語学派(にちじょうげんごがくは、Ordinary language philosophy)は、伝統的な哲学的問題を、哲学者たちが言葉が日常的な用法では実際に何を意味していたのかを歪め、あるいは忘れることで増大させてきた勘違いに由来するものだとして取りかかる哲学の学派。
このアプローチは概して「日常的」言語の日々の使用の詳細に対する関心を閉じるためにの哲学的「理論」を回避することを伴う。「オックスフォード学派」と呼ばれることもあるが、これは20世紀半ばの数多くのオックスフォード大学の教授陣の著作と一般的に結び付けられていることによる。その教授陣とは、主にジョン・L・オースティン、他にギルバート・ライルハーバート・ハートピーター・フレデリック・ストローソンといった人々である。後にはルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインが、オックスフォードの範囲からは外れるものの、当学派のもっとも有名な支持者となった。第二世代に含まれる人物としては、、ジョン・サールがいる。
ヴィトゲンシュタイン研究者の〔''Wittgenstein'', Oxford University Press, (Oxford), 1988, p. 114〕は、ヴィトゲンシュタインの著作が二番手もしくは三番手の20世紀半ばに支配的であった言語への哲学的関心を演じたのかもしれないという事実にもかかわらず、ギルバート・ライル他日常言語学派に含まれる人物のうちだれもヴィトゲンシュタイン派ではないと確信していた。さらに重要なこととして、グレイリングは「彼らのうち大部分は概してヴィトゲンシュタイン後期の思想の影響を受けておらず、後期ヴィトゲンシュタインに対して活発な敵対活動を行っているものもいる」と断言している。
学派の名称はこの学派のアプローチと、分析哲学において支配的で、今日「理想言語学派」と呼ばれているような、哲学的問題を解決する上での言語の役割に対する以前の観点との対比に由来する。日常言語学派は1930~1970年代には大きな哲学的潮流を形成したし、今日でも哲学の中で重要な勢力である。
== 歴史 ==

初期の分析哲学では日常言語に対してあまり肯定的な見解を持っていなかった。バートランド・ラッセルは哲学的にあまり重要ではないとものとして言語を排除しがちであり、とくに日常言語については混乱しすぎていて形而上学的・認識論的問題を解決する助けにはならないものであると考えて排除しがちであった。ゴットロープ・フレーゲウィーン学団(特にルドルフ・カルナップ)、初期のヴィトゲンシュタイン、それにウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン 、これら皆、とくに近代的論理学の力を使うことで言語を改良しようとしていた。ヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で示した見方は多かれ少なかれラッセルの、言語は、はっきりさせるために、世界を精確に表現するために、また私たちが哲学的問題をよりよく取り扱えるために改良されるべきだという考え方に同意する物であった。
これと対照的に、後期ヴィトゲンシュタインは、彼の責務は言葉を形而上学的な領域から日常的な用法の領域へと取り返すことだとした〔''Philosophical Investigations'', §116, trans. G. E. M. Anscombe, (New York: MacMillan, 1953)〕。この圧倒的な変化によって彼が1930年代に執筆した未公刊の作品では日常言語はそれ自体として「悪い」ところは何もなく、多くの伝統的な哲学的問題は言語や関連する主題に対する誤解によってもたらされたまやかしだという考えが中心に据えられた。この考えの前半は以前の分析哲学の―ほぼ間違いなく、以前のすべての哲学の―アプローチの否定を導いた。後半は、哲学的問題を解決するよりもむしろ哲学的問題の現れを「解消」するために言語をその日常的な用例から注意深く観察することでそれに取って代わろうとすることを導いた。初め、日常言語学派は(言語的哲学派とも呼ばれていたが)分析哲学の拡張もしくは代替だとみなされていた。今日では「分析哲学」と言う言葉は標準化された意味で使われ、日常言語学派は論理実証主義に後続し、現在続いている分析哲学のまだ名前のついていない段階に先行する、分析哲学の流れの一段階であるとみなされている。.
日常言語分析は概して1940年代のオックスフォードにおいて、オースティンとギルバート・ライルによって広がり、発展した。日常言語学分析は斜陽期を迎える以前、1960年代後半から1970年代前半にかけては非常に広く、そして急速に発展した。現在「日常言語学派は死んだ」と言われるのを聞くのは珍しくない。ヴィトゲンシュタインはおそらく言語的哲学の主だった人物の中ではただ一人以前と変わらぬ名声を保っている。一方、言語に注目することは現在の分析哲学でも最も重要な技法のひとつであるし、日常言語学派の多くの影響が多くの学派を通じて見出される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日常言語学派」の詳細全文を読む




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