翻訳と辞書
Words near each other
・ 新竹州
・ 新竹市
・ 新竹市の国民中学一覧
・ 新竹市の国民小学一覧
・ 新竹市の幼稚園一覧
・ 新竹市立ガラス工芸博物館
・ 新竹市長
・ 新竹県
・ 新竹県長
・ 新竹神社
新竹空襲
・ 新竹駅
・ 新竹駅 (台湾高速鉄道)
・ 新竹駅 (新竹県)
・ 新笠戸ドック
・ 新笠松駅
・ 新笠松駅 (2代)
・ 新笠松駅 (初代)
・ 新第三紀
・ 新笹子トンネル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

新竹空襲 : ミニ英和和英辞書
新竹空襲[しんちくくうしゅう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しん]
  1. (n,n-suf,pref) new 
: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
空襲 : [くうしゅう]
  1. (n,vs) air-raid 

新竹空襲 : ウィキペディア日本語版
新竹空襲[しんちくくうしゅう]

新竹空襲(しんちくくうしゅう)とは、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)11月25日に、アメリカ陸軍航空軍中国国民革命軍の連合部隊が、当時日本領だった台湾新竹市の日本軍基地に対して行った航空攻撃である。連合国軍による奇襲が成功し、日本軍は多数の航空機を失った。中国大陸から日本領に対して行われた初めての本格的空襲であり、日本軍が大陸打通作戦を実行する一因となった。
== 背景 ==

1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発すると、中国空軍は、1938年(昭和13年)2月23日にソ連空軍志願隊との共同作戦として、SB爆撃機28機により、日本側の渡洋爆撃の出撃拠点となっていた台北市近郊の松山飛行場を空襲した〔中山(2007年)、上320頁。〕。これは外地も含む広い意味で史上初の日本本土空襲であったが、戦果は流れ弾により松山飛行場・新竹市周辺の村落で民間人に若干の被害が出たのみであった〔防衛庁防衛研修所(1968年)、47頁。〕。同年5月20日と5月30日には中国空軍の少数のマーチン139W爆撃機九州へ飛来して宣伝ビラを撒布したものの〔中山(2007年)、上305-309頁。〕、その後、中国軍による日本本土空襲は途絶えた。
1941年(昭和16年)にアメリカ合衆国は義勇兵名目の航空部隊であるフライング・タイガースを中国で参戦させ、太平洋戦争開始後にはアメリカ陸軍航空軍の正規部隊である第10空軍隷下の(CATF)を組織していた。1943年(昭和18年)3月には中国戦域を担当する第14空軍が新設され、同年10月には別立ての多国籍部隊である(CACW)も創設された。装備機種はP-40戦闘機B-25中型爆撃機を主力に、新型のP-38戦闘機B-24重爆撃機も配備され、1943年秋には最新鋭のP-51戦闘機が少数到着した〔中山(2007年)、下252-255頁。〕。昆明に拠点を構えたCATFは、1942年10月25日の香港空襲を皮切りに長距離空襲を開始し、衡陽桂林などを前進基地として香港や漢口を攻撃した〔中山(2007年)、下144-151頁。〕。
CATFを率いるクレア・リー・シェンノートは、で、日本のシーレーンの要衝である台湾を攻撃する戦略的意義を主張して、米英首脳に受け入れられた〔中山(2007年)、下163-164頁。〕。そして、1943年秋に航続距離の長いP-51戦闘機が配備されたのを受け、これまでは護衛戦闘機の随伴が難しかった台湾への長距離攻撃が計画された〔。ただし、ジョセフ・スティルウェル中国・ビルマ・インド戦域米陸軍司令官は、中国戦線での日本軍の攻勢を誘発する危険があるとして、作戦に反対していた〔。
一方、日本軍の台湾防空体制は手薄だった。日中戦争勃発間もない1937年8月に大本営から台湾の防空が下令されて戦闘機1個中隊・高射砲2個中隊が展開したものの〔防衛庁防衛研修所(1968年)、44-45頁。〕、翌1938年11月には警戒態勢が緩和された〔防衛庁防衛研修所(1968年)、49頁。〕。太平洋戦争開始後もフィリピン攻略が終わると台湾は後方拠点となったため、防衛戦力はほとんど置かれなかった。1943年3月に中国大陸での連合国航空部隊の活動活発化に対抗して日本陸軍飛行第54戦隊の1個中隊が台湾へ進出したが〔防衛庁防衛研修所(1968年)、176-177頁。〕、この唯一の戦闘機隊もパレンバン油田の防空のため同年9月に転進してしまった〔防衛庁防衛研修所(1968年)、231頁。〕。教育航空部隊は多数が存在し、の新竹海軍航空隊だけで定数105機の九六式陸上攻撃機を保有した〔防衛庁防衛研修所(1968年)、232頁。〕。対空警戒レーダーとしては大屯山超短波警戒機乙が一応配備されていたが、低空目標の探知は困難であった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「新竹空襲」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.