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斎藤喜平次 : ミニ英和和英辞書
斎藤喜平次[さいとう きへいじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とき]
 【名詞】 1. meals exchanged by parishioners and priests 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

斎藤喜平次 : ウィキペディア日本語版
斎藤喜平次[さいとう きへいじ]

斎藤 喜平次(さいとう きへいじ、生年不詳 - 弘治元年11月12日1555年12月24日〉)は戦国時代の人物。父は斎藤道三〔『六角義賢条書写』の系図〕。諱は龍定〔『古代氏族系譜集成』、『美濃国諸旧記』〕、龍之とも。仮名は玄蕃〔『美濃国諸旧記』〕。母は深芳野一色義清女か稲葉通利女〔「美濃国諸家系譜」によると深芳野の母は一色左京大夫義遠〕)又は小見の方明智光継女)。
斎藤道三の三男〔『信長公記』〕として生まれる。『信長公記』によると父道三と兄の義龍・孫四郎の親子四人で稲葉山城に住んでいたという。
次兄斎藤孫四郎とともに父の道三に寵愛され、道三は喜平次に「一色右兵衛大輔」を名乗らせた。『信長公記』によれば、それにより次兄孫四郎とともに奢り高ぶり、しだいに長兄・斎藤義龍を侮るようになったいわれる。斎藤家の家督は天文23年(1554年)父道三の隠居で長兄・義龍が継いでいたが、義龍は自身が廃嫡されると考えて一計を計り、喜平次らを自身のいる稲葉山城の奥の間に病を装って呼び出し、弘治元年(1555年)11月12日、酒に酔わせた後に自身の寵臣・日根野備中守弘就により、喜平次は次兄孫四郎ともども謀殺された。
== 関連項目 ==

*NHK大河ドラマ国盗り物語」(NHK、1973年) 演:曽我一貴
*新春ワイド時代劇国盗り物語」(テレビ東京、2005年) 演:平井優也
*「濃姫」(テレビ朝日、2012年) 演:荒井敦史

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「斎藤喜平次」の詳細全文を読む




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