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政岡憲三 : ミニ英和和英辞書
政岡憲三[まさおか けんぞう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [み]
  1. (num) three 

政岡憲三 : ウィキペディア日本語版
政岡憲三[まさおか けんぞう]

政岡 憲三(まさおか けんぞう、1898年(明治31年)10月5日 - 1988年(昭和63年)11月23日)は、日本アニメーション作家、アニメーション監督演出家大阪府出身。日本のアニメ黎明期において多大な貢献をしたことから「日本のアニメーションの父」と評される。
== 来歴 ==
1898年(明治31年)、大阪府に生まれる。
1917年(大正6年)、京都市立美術工芸学校卒業。黒田清輝の元で学ぶ。
1925年(大正14年)、マキノプロダクションに入社。
1933年(昭和8年)、資産家だった親の援助を受けて、京都下賀茂高木町に「政岡映画美術研究所」として動画スタジオを設立〔ここから以下『手塚治虫とボク』(うしおそうじ、草思社)より〕。
4月13日、松竹が社運をかけ、蒲田撮影所所長城戸四郎が個人責任で製作した日本のトーキー漫画映画第二弾『力と女の世の中』(3巻)を完成させ〔日本初のトーキー漫画映画は大藤信郎の『蛙三勇士』〕、松竹映画で配給公開される。浅草帝國館での成功を見て、城戸はこれを全国松竹系映画館に拡大配給、トーキー動画初の全国公開となる。
1934年(昭和9年)、再び松竹城戸四郎のもと、『仇討からす』、『ギャングと踊り子』を制作。しかし興行的には劇映画の添え物扱いにされ、城戸とのコンビによる動画映画製作は3作で止まってしまう。
1935年(昭和10年)、映画会社JOで、円谷英二と組んで人形アニメ『かぐや姫』を製作。
1937年(昭和12年)、日本動画研究所設立。
1941年(昭和16年)、松竹動画研究所に製作課長として招かれる。
1943年(昭和18年)、代表作となる『くもとちゅうりっぷ』を制作。この作品は日本初のフルセルアニメーションである。
1945年(昭和20年)、『桃太郎 海の神兵』に影絵担当として関わる。京の舞妓と桜吹雪のたわむれを描いた『桜』をほぼ単独で制作。
日本が敗戦となった後の12月、東宝と提携。その記念に、完成した『桜』のオールラッシュが湯原甫プロデューサー以下、全アニメ関係者を対象に一週間試写上映が行われ、政岡は講師として「漫画映画特別教育講座」を開講する。続いて『すて猫トラちゃん』制作決定。
1947年(昭和22年)、村田安司山本善次郎らとともに西武池袋線江古田駅近くに「日本動画株式会社」(現:東映アニメーション)を設立。「日動スタジオ」でオペレッタ形式の児童向け映画『すて猫トラちゃん』(全2巻)をフルアニメーションで制作〔絵本版の挿絵を描いたのは鷺巣富雄〕。『すて猫トラちゃん』は「東宝第一回プログラム」として、他3作品と4本立てで、日劇でロードショー公開された。
1949年(昭和24年)、トラちゃんシリーズ『トラちゃんのカンカン虫』を製作。視力を害し、おもに児童雑誌に挿絵を執筆するようになる。
1962年(昭和37年)、日本初の本格的連続テレビアニメ鉄腕アトム』の制作に関わる。
1964年(昭和39年)、ピー・プロダクション(ピープロ)にアニメーター養成顧問として所属。新入社員を即戦力とする人材教育を受け持った。
1966年(昭和41年)、ピープロの実写特撮番組『マグマ大使』、『宇宙エース』のカラー版パイロットフィルムでリアルアニメーション作画を担当。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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