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攻勢防御戦術 : ミニ英和和英辞書
攻勢防御戦術[こうせいぼうぎょ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

攻勢 : [こうせい]
 【名詞】 1. offensive (movement) 2. aggression 
攻勢防御 : [こうせいぼうぎょ]
 【名詞】 1. attack as a form of defense 2. attacking (active) defense
: [はずみ]
 【名詞】 1. (1) bounce 2. spring 3. rebound 4. (2) momentum 5. inertia 6. (3) spur of the moment
防御 : [ぼうぎょ]
  1. (n,vs) defense 2. defence 3. safeguard 4. protection 
: [ご, お, おん, み]
  1. (pref) honourable 2. honorable 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦術 : [せんじゅつ]
 【名詞】 1. tactics 
: [すべ]
 【名詞】 1. way 2. method 3. means

攻勢防御戦術 ( リダイレクト:フィリップ・ペタン#攻勢防禦 ) : ウィキペディア日本語版
フィリップ・ペタン[すべ]

アンリ・フィリップ・ベノニ・オメル・ジョゼフ・ペタン(, 1856年4月24日 - 1951年7月23日)は、フランス軍人政治家フランス第三共和政最後の首相およびフランス国(ヴィシー政権)主席をつとめた。オートクロームによるカラー肖像写真が残っている。
== 経歴 ==

=== 第一次世界大戦まで ===
1856年4月24日にパ=ド=カレー県で生まれた。1887年サン・シール陸軍士官学校を卒業し、1901-1907年、陸軍士官学校・陸軍大学で歩兵学を講義した。彼の出世は決して早いものではなかった。第一次世界大戦が勃発した1914年、彼はすでに58歳であったが、階級は大佐で第33歩兵連隊の連隊長にすぎなかった。
しかし彼の軍事思想〔当時参謀本部で優勢であった積極的攻撃論に異議を唱え、堡塁防御の戦術を主張していた。(フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅱ ルネサンスー啓蒙時代 原書房 2004年 162ページ)〕がフランス陸軍総司令官ジョゼフ・ジョフルの目に止まり、マルヌ会戦を前にこの年の8月3日、第1軍団第4歩兵旅団長、31日に准将〔それぞれ少将、中将と和訳するケースもある。https://www.overthefront.com/reasources/military-ranks/french-ranks〕に昇任、9月2日に第6歩兵師団長、14日に少将〔に昇任、10月20日に第33軍団長、翌1915年6月21日に第2軍司令官と一気に昇進した。以降アルトワの戦いシャンパーニュの戦いで戦功を挙げ、西部戦線で最も卓越した指揮官の一人という評価を得るに至った。1916年2月21日のヴェルダンの戦いでは、バル・ル・デュックとヴェルダンを結ぶ街道(バル・ル・デュック街道、神聖街道)を兵士と物資を頻繁に運んだ。特に兵士は交替しながら戦争できるように回転させた。こうして第2軍司令官としてフランス軍を勝利に導き、「ヴェルダンの英雄」という名声を得た。その高い人気もあって1917年にはロベール・ニヴェルの後任としてフランス陸軍総司令官となった。1918年連合国の勝利で第一次世界大戦が終結した後の11月には元帥に昇進している。
なお、第33歩兵連隊時代からの部下に、のちの大統領・シャルル・ド・ゴールがいた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フィリップ・ペタン」の詳細全文を読む




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