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才賀紀左衛門 : ミニ英和和英辞書
才賀紀左衛門[さいが きざえもん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さい]
 【名詞】 1. ability 2. gift 3. talent 4. aptitude 5. genius 
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 

才賀紀左衛門 : ウィキペディア日本語版
才賀紀左衛門[さいが きざえもん]

才賀 紀左衛門(さいが きざえもん、1989年2月13日 - )は、日本キックボクサー総合格闘家大阪府堺市出身。芦屋大学附属高等学校卒。紀左衛門道場/Me,We 所属。父は才賀紀彦(株式会社サイガ創業者)。紀左衛門道場 所属、正道会館(K-1を創ったフルコンタクト空手道場)でアンディ・フグ、武蔵、金泰泳、藤本佑介、中迫強、などの選手を育てた湊谷師範に指導してもらっていた。空手出身の派手な足技と、端正な容姿で注目を集める。変わった名前であるが、リングネームではなく本名。
== 来歴 ==
幼稚園から空手を始めた。
2007年4月に上京し、大成敦K-1ルールディレクターが主宰する大誠塾に入門。
2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!で開催された「K-1甲子園 U-18日本一決定トーナメント」で当初はリザーブファイトに出場する予定だったが、藤鬥嘩裟の欠場により本戦出場。1回戦でHIROYAと対戦。変則的な蹴り技を中心に攻撃するも判定負け。
2008年1月26日、中国で開催された「武林風大会」でK-1ルールの試合に出場し、3R引き分け。
2008年2月2日、K-1 WORLD MAX 2008 〜日本代表決定トーナメント〜で行なわれたオランダとの3対3対抗戦の中堅戦でロイ・タンと対戦し、判定勝ち。
2008年7月7日、K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL8タイロン・ヴァン・ウィックと対戦し、左ハイキックKO勝ち〔K-1:リアル小日向くん、才賀がKO勝ち マンガさながらのハイキック決まる 毎日jp 2008年7月8日〕。
2008年8月29日、K-1甲子園 KING OF UNDER 18 〜FINAL16〜のK-1 WORLD YOUTH スペシャルマッチで谷山俊樹と対戦し、0-0の判定ドローとなった〔K-1:“イケメン”才賀、判定ドローに土下座 「しょうもない試合をしてすみません」 毎日jp 2008年8月30日〕。
2009年2月23日、K-1 WORLD MAX 2009 〜日本代表決定トーナメント〜HIROYAと再戦するも、0-2の判定負け。
2009年8月10日、K-1甲子園2009 FINAL16のスーパーファイトで小林幸太と対戦し、3-0の判定勝ち〔K-1:「イケメン」才賀 漫画技不発に「相手をナメていた」 毎日jp 2009年8月11日〕。
2009年9月28日、Survivor Round.1で小比類巻太信と2分2Rのスペシャルエキシビションマッチで対戦。エキシビションではあったが、2Rには右ストレートで人生初のダウンを喫した〔K-1:才賀紀左衛門 人生初のダウンも「これをバネに、軽量級で一番を目指す」 毎日jp 2009年9月29日〕。
2009年12月9日、Survivor 〜Round.2〜でKO-ICHIと対戦し、左ハイキックでKO勝ちを収めた〔K-1:「イケメン」才賀 左ハイキックでKO勝利 「軽量級の1番を目指す」 毎日jp 2009年12月10日〕。
2010年1月25日、Survivor 〜Round.3 立川隆史・引退記念興行〜で白神喜弘と対戦し、ローキックを多用し、判定勝ち〔K-1:才賀紀左衛門、元ロッテ立川の引退に「ホームラン級のKO」送れず 毎日jp 2010年1月26日〕。
2010年5月2日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-63kg Japan Tournament 1st Round〜ファイヤー原田と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた〔K-1:「イケメン」才賀判定勝ち 「おっさんたち倒したい」と訴え 毎日jp 2010年5月3日〕。
2010年7月5日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-63kg Japan Tournament FINAL〜では、準々決勝で石川直生に1Rに右ストレートでダウンを奪い、さらに2Rに胴廻し回転蹴りで石川をぐらつかせて、大差の判定勝ちを収めるも、準決勝で大和哲也に左フックでKO負け。また、このKO負けが人生初のKO負けとなった〔K-1:“イケメン”才賀、V候補に完勝も初タイトルならず 毎日jp 2010年7月6日〕。
2010年10月3日、K-1 WORLD MAX 2010 FINAL16イ・ソンヒョンと対戦し、2Rに2度のダウンを奪われ0-3の判定負けを喫した〔【K-1MAX】ペトロシアン、危なげなくFINALへ!キシェンコ、注目のサガッペットは敗退 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月3日〕。
2011年1月9日、初のKrush参戦となった、Krush-63kg初代王座決定トーナメント1回戦で寺崎直樹と対戦し、危なげのない試合運びで判定勝ち。試合後のマイクでは準決勝の相手として梶原龍児を指名した。
2011年4月30日、Krush初代王座決定トーナメント準決勝で、梶原龍児と対戦。ペースを握っていたが2Rにダウンを奪われ、3R盛り返すも判定負け〔佐藤嘉洋のMAX TALK!!【動画】 K-1公式サイト 2011年6月1日〕。
2011年6月25日、国立代々木競技場第二体育館で開催されたK-1 WORLD MAX 2011 〜-63kg Japan Tournament Final〜の準々決勝で久保優太と対戦し、2Rにポイントを奪われ3R終了間際に盛り返すも、0-2の判定負け。1回戦敗退となった〔【K-1MAX】久保が決勝で卜部を下してトーナメント優勝!佐藤はクラウスにリベンジ 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年6月25日〕。
7月1日付けでKrushのランキングが発表された。その中で、自身が負けている王者・梶原龍児、いまだ対戦経験がない卜部功也続き-63kgのランキング2位となった。
2011年9月25日、K-1 WORLD MAX 2011 -70kg Japan Tournament FINALでコンバットリーグ世界王者ヴァルドリン・ヴァトニカイと対戦し3-0の判定勝ちを収めた。
2013年3月20日、親交の深い飯伏幸太と組み、DDTでプロレスデビュー〔2013年03月20日(水) 【3・20リポート①】才賀がプロレスデビュー戦を勝利で飾る DDTプロレスリング 2013年3月20日〕。
2014年9月14日、タレントあびる優と結婚することが『アッコにおまかせ!』内であびるの口から明かされた。
2014年10月5日、総合格闘技デビュー戦となったパンクラス「PANCRASE 261」でライダーHIROと対戦し、判定勝ち。
2015年5月5日、第1子となる女児を授かる。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「才賀紀左衛門」の詳細全文を読む




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