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手倉森誠 : ミニ英和和英辞書
手倉森誠[てぐらもり まこと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [て]
 【名詞】 1. hand 
: [そう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator
: [もり]
 【名詞】 1. forest 
: [まこと]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

手倉森誠 : ウィキペディア日本語版
手倉森誠[てぐらもり まこと]

手倉森 誠(てぐらもり まこと、1967年11月14日 - )は、青森県五戸町出身の元サッカー選手、サッカー指導者(S級指導者ライセンス所持)である。元U-20日本代表。サッカー指導者の手倉森浩双子の弟である。
== 来歴 ==
青森県立五戸高等学校3年時、第64回全国高等学校サッカー選手権大会に出場しベスト8に進出〔。卒業後、日本サッカーリーグ2部の住友金属に入団。1986年にユース日本代表に選出され、第25回アジアユース選手権大会1次予選に出場した〔。なお、住友金属(1992年にプロ化して鹿島アントラーズ)には1992年まで在籍した。
住友金属時代はパチンコなどギャンブルに明け暮れていたといい、酷い時にはパチンコ店に手倉森を探しに来たジーコの目から逃れるため、パチンコ台の下に隠れたこともある〔手倉森監督の支え 罪滅ぼしと恩返し - デイリースポーツ・2016年1月28日〕。鹿島から戦力外通告を受けた1992年暮れには、やけになって中山競馬場に足を運び、全財産を2日で使いきってしまった(金額については600万円とも1200万円ともされている)〔手倉森監督、競馬で全財産1200万円する…鹿島クビで自棄、高かった授業料 - サンケイスポーツ・2016年1月27日〕〔手倉森監督 韓国倒しアジア王者で五輪へ「借り返したい」 - スポーツニッポン・2016年1月28日〕。結果として無一文となったが、翌1993年NEC山形サッカー部(現:モンテディオ山形)から声がかかり移籍。このことを教訓に、以後ギャンブルはきっぱり止めた〔。
1995年に引退。当時、山形の監督だった石崎信弘に勧められ同年指導者となり、モンテディオ山形大分トリニータのコーチを歴任した。
2004年からベガルタ仙台のコーチ。
2007年よりヘッドコーチを歴任。また同年より手倉森浩が仙台のスタッフに加わった。
2008年望月達也の監督辞任を受け監督に就任。監督就任当初から、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)の出場を目標に掲げた。この年のJ2で3位の成績を残しJ1・J2入れ替え戦に進出したがジュビロ磐田に1分1敗と負け越し、Jリーグ ディビジョン1 (J1) 昇格はならなかった。
2009年Jリーグ ディビジョン2で優勝。第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会でベスト4の成績を収めた。
2010年よりJ1へ昇格。14戦連続無勝利(5分9敗)を喫したが、14位でJ1に残留した。
2011年東日本大震災に伴う約1ヵ月半の中断期間があったが、開幕から12戦連続不敗(6勝6分)を記録。震災後初戦となった4月23日川崎フロンターレ戦で逆転勝ちした際、試合後のインタビューで感極まり涙を流した。最終的に4位の成績でシーズンを終えた。
2012年シーズンは前年を上回る2位の成績を収め、チーム初のACL出場権獲得を果たした。
2013年10月10日、翌2014年より2016年夏季オリンピックリオデジャネイロ大会(以下「リオ五輪」)出場を目指すU-21(21歳以下)日本代表監督就任を発表した。これに伴い、2013年シーズン終了を以って仙台監督を退任した。
2014年1月2日、U-21日本代表監督就任(契約期間は2016年8月31日まで〔)。就任早々、AFC U-22アジアカップ2013に臨んだが、ベスト8で敗退した。また、6月8日のJ3第15節FC琉球戦から11月23日の第33節ブラウブリッツ秋田戦まで、Jリーグ・アンダー22選抜のコーチとして登録された。同年8月から2015年2月までは、日本代表コーチを兼任した。
2016年、リオ五輪最終予選を兼ねたAFC U-23選手権2016では4-4-2をベースに戦った。ベストメンバーを作らずに毎試合違うメンバーで挑み、グループリーグから5戦全勝で決勝まで駒を進めた(この時点でリオ五輪出場権を獲得)。決勝の韓国戦では0-2とリードされていたが、浅野拓磨の投入があたり3-2で逆転勝ちし、優勝を飾った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「手倉森誠」の詳細全文を読む




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