翻訳と辞書
Words near each other
・ 成宮梓
・ 成宮真希
・ 成宮裕子
・ 成宮雄三
・ 成家
・ 成家慎一郎
・ 成家義哉
・ 成富うどん
・ 成富信種
・ 成富政一
成富茂安
・ 成尋
・ 成尋阿闍梨
・ 成尋阿闍梨母
・ 成就
・ 成就値
・ 成就寺
・ 成就寺 (岡山市)
・ 成就院
・ 成就院 (藤沢市)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

成富茂安 : ミニ英和和英辞書
成富茂安[なりどみ しげやす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 

成富茂安 : ウィキペディア日本語版
成富茂安[なりどみ しげやす]

成富 茂安(なるとみ しげやす)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将龍造寺氏次いで鍋島氏の家臣。
== 生涯 ==

=== 幼少期から少年期 ===
永禄2年(1559年)、龍造寺氏の家臣である成富信種(のぶたね、「信」の字は主君・龍造寺隆信から偏諱を与えられたものであろう)の次男として、現在の佐賀県佐賀市鍋島町増田に生まれる。
元亀元年(1570年)、今山の戦いの際にはまだ12歳であったため、出陣の許可が出なかった。それに納得がいかなかったので、誰にも見つからないように独断で戦場に赴き、物見を行ったという。この行いが主君・隆信の目に留まり、それ以来小姓として側近くに仕えるようになる。元服すると隆信より一字を賜り「信安」と名乗った〔。
天正4年(1576年)、隆信が肥前有馬氏と戦うべく藤津へ進軍した〔『北肥戦誌(九州治乱記)』〕際に、父と共に同行し初陣を迎える〔。
天正5年(1577年)、幼い頃から大人でさえも手のつけられない暴れ者であり、この頃も村里を遊行し博打に興じるなど素行不良が改まらず、この年に籾蔵二つを博打の形に失うなどした〔。諫めても改まらない素行に、成富一門は信安を殺すべきであると信種に相談する。しかし、信種がもう少し様子を見るよう一門を説き、素行の改まらない時は自らの手で殺すと述べた〔。信安はそれにより改心し、その後は勉学や武芸に励むようになる。
天正7年(1579年)、隆信にその勇猛果敢な戦いぶりを認められ、「一日で十度の武功を立てた」ということにちなんで、十右衛門の名を与えられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「成富茂安」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.