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成丹 : ウィキペディア日本語版
成丹[せい たん]

成 丹(せい たん、? - 25年)は、中国代の武将。緑林軍創始期からの部将で、後に更始帝政権の重鎮となった人物である。
== 事跡 ==

=== 緑林軍への参加 ===

王莽の統治の末年に、江夏郡で挙兵していた王匡を頼り、緑林山(江夏郡当陽)に立て篭もって新の官軍と戦った。地皇3年(23年)に疫病が原因で緑林軍が分散せざるを得なくなると、成丹は張卬〔張卬は、『後漢書』劉玄伝によると新市軍に、同王常伝によると下江軍に合流したとされているが、本記事では後者をとる。〕と共に藍口聚(南郡編県)へ向かい、王常を頭領に擁立して、「下江軍」と号した。
同年、下江軍が宜秋聚(南陽郡平氏県)に駐屯していた際に、舂陵軍の劉縯劉秀の兄)が合流を求めて交渉にやってきた。成丹と張卬は、劉縯の家柄を考えれば、その下風に立たざるを得ないと考え、合流に消極的であった。しかし、合流を望む王常の説得を受け、2人を始めとする他の下江軍部将はこれを承認した。地皇4年(23年)正月、舂陵軍・下江軍の連合軍は、泚水で新の前隊大夫(新制の南陽太守)甄阜、屬正(新制の都尉)梁丘賜を撃破し、討ち取っている。
その後、緑林軍は再合流し、劉縯と平林軍出身の劉玄とのいずれを皇帝として擁立するかが、諸将の間で議論となった。この際に、南陽の士大夫(舂陵の諸将など)と王常は劉縯、成丹らその他の諸将は劉玄を推している。結局、劉縯が劉玄に譲る形となった。こうして更始1年(23年)2月、劉玄は更始帝として即位し、成丹は水衡大将軍に任命された。翌更始2年(24年)2月に更始帝が長安に遷都すると、成丹は襄邑王に封じられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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