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志々伎神社 : ミニ英和和英辞書
志々伎神社[しじきじんじゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 
: [くりかえし]
 (n) repetition of kanji (sometimes voiced)
: [ぎ]
 【名詞】 1. deed 2. skill
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
神社 : [じんじゃ, かむやしろ]
 【名詞】 1. Shinto shrine 
: [やしろ]
 (n) shrine (usually Shinto)

志々伎神社 : ウィキペディア日本語版
志々伎神社[しじきじんじゃ]

志々伎神社(しじきじんじゃ)は、長崎県平戸市野子町にある神社。志志伎神社あるいは志自伎神社とも表記する。式内小社旧社格は県社。
==概要==
創建年代は5世紀頃とも言われるが、正確には不明である。神域は平戸島の南端近くにある志々伎山(標高347.2メートル)を中心としており、古くは山の頂上に上宮、中腹に中宮、麓にある漁村の宮の浦に地の宮(下宮、邊都宮)、そして宮の浦沖の沖ノ島に沖の宮がそれぞれ置かれ、別に別当寺として円満寺が設けられていた。祭神は日本武尊の子、仲哀天皇の異母弟で、神功皇后三韓征伐に従い、その後当地に留まり西国警護を命ぜられたと伝えられる十城別王(十城別命)で、地の宮は王が設けた武器庫を転用したもの、沖の宮は王の墓所であると伝えられている。
延喜式』神名帳において肥前国内では4社ある式内社の一つとしてその名があり、壱岐・対馬地域を除く長崎県内では唯一であり、最も古くから知られた神社である。その後も松浦党諸家や周辺地域漁民の崇敬を広く集めた。
現在の祭祀等の中心は中宮となっている。当初は志々伎山山頂下の祠にあったが、1559年(永禄2年)に中腹に、さらに1961年(昭和36年)に明治初年に神仏分離令により廃された円満寺(当社の別当寺)の跡地である現在地に移った。
旧社殿地は1974年(昭和49年)に「旧式内社志々伎神社跡」として長崎県史跡に指定されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「志々伎神社」の詳細全文を読む




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