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徳野藩 : ミニ英和和英辞書
徳野藩[とくのはん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [はん]
  1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures) 

徳野藩 : ウィキペディア日本語版
徳野藩[とくのはん]
徳野藩(とくのはん)は、美濃国(現在の岐阜県可児市徳野)に存在した〔二木謙一監修・工藤寛正編「国別 藩と城下町の事典」東京堂出版、2004年9月20日発行(306ページ)〕。
== 概要 ==
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで東軍に寝返ったことで有名な小早川秀秋だが、その寝返り工作をした家老に稲葉正成平岡頼勝がいた。頼勝は慶長7年(1602年)に秀秋が死去して小早川家が断絶すると流浪の身となり、やがて徳川家康に召し出されて慶長9年(1604年)8月、美濃国内に1万石を与えられ、ここに徳野藩が立藩した。頼勝は慶長12年(1607年)2月29日に死去、平岡氏は息子の頼資が継いだ。
ところが頼資の晩年から家督争いが起こり、承応2年(1653年)正月8日(または異説として7月4日)に死去すると、その争いのために頼資の子・頼重は家督相続が認められず、幕命によって徳野藩は改易・廃藩となった。但し、平岡氏は頼重が1,000石の所領を持つ旗本として存続を許された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「徳野藩」の詳細全文を読む




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